「水俣事件」

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水俣を取り続けた写真家桑原史成の最新の写真集が藤原書店から出た。
半世紀を超えて撮り続けたなんと3万カットから選んだ総集編である。
その中からDAYS JAPANに5点がしょうかいされている。

そしてこれ、なんとこれは苦海浄土の中に出てくる、
杢太郎とじいさまのモデルになった、
半永一光と、祖父多良喜であるという!
苦海浄土に登場する人々の中でも、ひときわ強い印象を受けた、
あの、杢太郎とじい様だ!
私は胸がいっぱいです。


じい様のあの愛に満ちた語りを、良かったらまた読んでください。
カテゴリ苦海浄土からさかのぼって。
2013年09月19日 | Comments(3) | 苦海浄土

苦海浄土13

先日来、テレビや新聞でひさびさに水俣病のニュースが
とりあげられたのは、7月末に水俣病特別措置法の申請が
しめきられたからである。
認められれば、一時金210万円と治療費の給付などがうけられるが、
地域と年齢による、理不尽な線引きがあり、ハードルは高い。
申請者は6万人ほどとなったが、
水俣の医師は、実際の患者は10万人を超えると語っている。

申請をためらう理由の最も大きなものは〈差別〉である。

水俣病の患者たちは当初から激しい〈差別〉にさらされてきた。
症状が激烈であることと、水俣市がその歳入の多くを、
チッソからの法人税にたよっていたため、
おまえらがへんな病気になったせいでチッソがつぶれたら
どうしてくれるんだというわけで、チッソの社員や家族だけでなく
市民のほとんどを敵に回したかっこうになった。

〈差別〉というのは、当人に非が有る無しにかかわらず、
ひどい目に遭っている人に、
追い打ちをかけるようにあびせられるものである。
なんの苦もなく豊かにしあわせに暮らす人が、
差別にあうという話はない。

〈差別〉をなくすることは大変難しいが、考えられるのは、
相手の状況を良く知ることではないかと思う。
親しい人、よく知る人に攻撃を加える人はすくない。
(おおきな利害対立もなしに、親しい人を攻撃するとしたら、
それは加害者のほうにになにか問題があることだと思う。)

福島の事故に関して、私は関係ないとはいいきれないのと、
同じ意味で、水俣病についても国民は、責任をまぬがれない。
メディアが公平で正確な情報を伝えてくれれば一番いいが、
それが望めないことは、福島のことでも明らかである以上、
われわれは意識して知ろうと努める必要があるのだろう。

重い内容の難しい問題を、専門家でもない私が、紹介などしたのも、
私自身がまず知るべきである、という思いがあったからである。
間違いなどあれば、指摘してください。

読んでくれて、ありがとうございました。
やっと終わって、私もほっとした。


今日は広島に原爆がおとされた日です。




2012年08月06日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土12

私はひさびさに、美しい文章を読みました。
内村君といっしょで、美しくないと満足できないんです。

ただ話が通じるというだけの文章、
あってもなくてもどっちでもいいような文章は、
読む気がなくなって、内容にまでたどりつけない。
そういうことが、最近はけっこう多いですから。

語りの部分に関しては、
多くの人の聞き書きを残した宮本さんの言葉がおもいだされます。

文字を持たない人たちの話し方の特徴は、
古い言い伝えや、親から聞いた話などと、
実際自分が見聞きした話に区別がない。
すべてを物語のようにに話すと。また、
話したいことがなくなるまで、5時間でも6時間でも、
ぶっ続けで話し続ける。

文字と時計が人間に及ぼした影響は非常に大きいです。
そして、何かを得ることは、なにかを失うことです。

もし水俣病がなかったとしても、
遅かれ早かれ失われるはずの世界であったろうと思われます。
いわゆる高度成長期とよばれる時期を境に、
日本中から駆逐された世界のひとつでありましょう。

今日本ではしきりに〈生きにくさ〉ということが言われます。
私は〈古代的な寛容さ〉が失われたことが、
最も大きいのではないかと思います。
ひとも動物も、病んだひとも、なにもかもを
おおらかに、仲間として受け入れる寛容さです。
それと〈謙虚さ〉、
天の下に存在することを許されているという感覚。

私たちはこれらを二度と手にすることはできないのでしょうか。

先日、水俣病のニュースがひさびさに報じられました。
次回、終わっていない水俣病の現在について少し補足して
苦海浄土についてはお終いにします。


2012年08月03日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土11

水俣の人たちの感覚のうちで、
私にはないなぁという古代的なものの中に、
死者との強い結びつきがあります。

彼らはチッソや国との交渉のためにはるばる水俣から
東京にやって来たりするわけですが、その際死んだ親や子を、
連れて来ていると言うわけですが、それはけっして比喩ではない
実感としてあるわけです。

 死んだ和子ばいまでも背負う(かろう)とります。あれば
 背負うとりますけん、大阪にでも高野山にでも、東京にまで
 も行くとでございます。背中から千切れ落ちるような気の今
 でもいたしまして、落ちんごつ、いっしょうけんめい背負う
 とる気持ちじゃなあ。

和子は病院で死に、解剖された。
その和子を家に連れ帰った時のことを生々しく記憶しているのである。
タクシーに断られ、帯をといて背負い、
線路の道を歩いて家にかえったのである。

 解剖してあるのば包帯でつないでございますけん、一足かわ
 しては、首のつっこけはせんじゃろか、手の、千切れ落ちは
 せんじゃろか、くたくた、音のしますもんな、背中で……。
 泣きよりますようで、和子ォ、……
 まこてェ、死んだ後までも痛か目に遭うかい。おう、痛かね、
 ほんに。
  柔らしゅう歩こうばってん、この汽車道の、なかなか、よ
 かあんばいに歩かれんとぞ……手切るめえぞ、うちに着くま
 で、首ども、つっ転す(こかす)まいぞ……
  解剖してある子にそういいきかせまして、歩いては止まり、
 歩いては止まりしながら、雨のしとしと降る晩に、汽車道の
 上ば、長うかかって連れ帰りましたです。親子ながら、ぐっ
 しょり濡れしょぼたれて、かなしゅうございましたばい。
2012年08月02日 | Comments(4) | 苦海浄土

苦海浄土10

ゆき女の語り

 舟の上はほんによかった。
 イカ奴(め)は素っ気のうて、揚げるとすぐにぷうぷう
墨をふきかけよるばってん、あのタコは、タコ奴はほんに
もぞかとばい(かわいい)。
 壷ば揚ぐるでしょうが。足ばちゃんと壷の底にふんばっ
て上目使うて、いつまでも出てこん。


やっと籠におさめてまた舟をやりおる。また籠をでてきよ
って籠の屋根にかしこまって座っとる。こら、おまやもう
うち家(げ)の舟にあがってからはうち家のものじゃけん、
ちゃんと入っとれちゅうと、よそむくような目つきして、
すねてあまえとるじゃけん。

杢太郎の爺さまの語り

 あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれら
すもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を
暮らす。
 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。
 寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじ
めの朝の、海の上でござすで。水俣の方も島原の方もまだ
モヤにつつまれて、そのモヤを七色に押しひろげて陽様(
ひいさま)の昇らす。ああよんべはえらい働きをしたが、
よかあ気色になってきた。


おさき小母さんの語り

 春の彼岸前になれば、そのようにして道のべも、田んぼ
も山々のあいも一日一日草の色になって、それが菜の花の
いろになりまして。
 このような景色の上に靄のかかりますと、海の底の方か
ら桜色に照りだされてなあ、あの上り鯛が、外海の方から
この内海に這入ってまいりますから。海の底で、そのよう
な鯛の群が動き出しますと、陸のさくらもひらきますので。
 桜が散って、どんぐりの木やら椎の木の芽が、銀色やら
紅色やらに萌ゆる頃になると、湖の色が山の陰を抱いて、
いちだんと深うなります。
 すると湖の中にかげろうが湧いて、藻草の陰にあの水烏
賊たちが巣をいとなみに参りますけん。
2012年08月01日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土9

水俣病が、この海辺の町ではなく、農村でおきていたとしたら、
この本も水俣病闘争のなりゆきも、
全く違ったものになっただろうと思います。

この国は律令制の昔から、税制もなにも全ての制度を
農村をモデルに、つくってきましたから、
農民はいやも応もなく管理されきってしまった感があります。

畑地もたんぼも土地というものは、全て誰かの持ち物です。
しかし、海は誰のものでもない。みんなのものという感覚です。
そもそも、そこがだいぶ違う。

漁村では、地引網でとれた魚は平等に分けるとか、
よくつれるポイントには順番でいくようにするとか、
素朴で公平なきまりが、長く生き延びていました。
ですから、同じ貧乏でも、
農民より漁民のほうが、ずっとのんきで明るいように
おもえます。

水俣ではもともと貧しかった上に、
病気が出れば、仕事はできない。
同じものを食べていますから、家族に何人も病人がでる。
症状の軽いものが、病をおして、重いものの看病をするという毎日。
次々に人が死んでいくという日々です。

とことん暗くなってもしかたのないような状況なのに、
なぜか、とんでもない明るさがあります。
水俣病を笑い飛ばす自虐ネタを含む、強烈なユーモア。

また、彼らは、海での暮らしに心から満足しており、
みんながみんな、海や魚への愛を語りだしたら止まらない!

次回は、本に登場するいろんな人の
〈海讃歌〉を書き抜いてみます。
2012年07月31日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土8

この本を読み始めるとすぐ、これは網野さんのいう、
〈海民〉の物語だなと思った。

読み進むにつれ、海民のなかの海民ともいうべき
家船(えぶね)で暮らす人まででてくる。
このあたりの呼び名で〈船人(ふなと)の衆〉と呼ばれる人々です。
陸に家も畑も持たず、一年を通して、家族全員が、
海の上で暮らす人たちです。

非常に古い海民の暮らしの形です。
不知火の海は外海との間に小さな島々があり、
よほどの台風でもなければ荒波がたつこともない。
海の幸も豊富で、寒さは冬の一時と、条件がそろっていたのでしょう。
昭和の初期まで、この古代的な暮らし方が残っていたのです。

現在は陸暮らしだが、ほんのこの間まで海上生活者であった
おばさんの語り

 学校なんのには、一、二年、真似ばっかり行きました。
  字の要る娑婆にはご縁のありません。空一生(から
 いっしょう)、夢んごたるふうでございますけん。
  夕めし済ませて、子どもに小便どもさせながら眺めて
 おりますと、波の先に、お月さんのゆらゆら揺れておい
 でなはります。
 「あら、今夜はもう、十三夜さんばい。今度の闇夜まで
 には、肥後まで渡って来んばならんなあ、父ちゃん」
 というふうでございます。
 「昨日は、北の風の吹いとったなぁ。宗太郎丸は、三角
 の沖まで、行き着いたかしらん」
  隣におった舟の噂ども心配して赤子をあやしましたり、
 あんまり背中のが泣きますときには、舟板を足でゆすっ
 て櫓を漕ぎながら、口からでまかせをば歌にしますとで
 ございます。
2012年07月30日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土7

石牟礼さんは詩人でもあるので、
その文章にリズム感があります。
〈、〉の使い方なども上手で、なめらかな読み心地です。
また語りの部分は、その内容のシビアさとはうらはらに、
昔話を聞いているような、気持ちよさがあります。

そんな中に挿入されるのが、引き写しの文章です。
病気の症状をたんたんと表現したものや、
無味乾燥なお役所言葉のようなものが入ることは、
読者に強い違和感を感じさせます。
しかし、そのことで、我に返るというか、
これがまぎれもない事実だということを実感させます。

水俣病闘争の全体像を構造的に把握させるという意味でも、
重要な役目をはたしていると思います。


病例  山中、二十八歳女、職業漁業
発病  昭和三十一年七月十三日
既往歴 生来頑健にして著患をしらない。
現病歴 三十一年七月十三日、両側の第二、第三、四指にしびれ感
    を自覚し、十五日には口唇がしびれ耳が遠くなった。
    十八日には草履がうまくはけず歩行は失調性となった。ま
    たその頃から言語障害が現れ手指震えを見、時にChorea様
    の不随意運動が認められた。八月に入ると歩行困難が起こり
    七日水俣市白浜病院(伝染病院)に入院したが、入院翌日よ
    りChorea様運動が激しくさらにBallismus様運動が加わり時
    に犬吠様の叫声を発し全くの狂躁状態となった。睡眠薬を投
    与すると就眠する様であるが、四肢の不随意運動は停止しな
    い。 
    
    所見は続くが以下略

この患者は九月三日に死亡した。
2012年07月28日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土6

今日は二つ目の、方言による語りを紹介します。

方言に、古語が残っていることはめずらしくはありませんが、
水俣の言葉もかなり古めかしい。
またごく日常的な話の中にも、敬語がたくさんでてきます。
ものやわらかな敬語が、語りをゆかしいものにしています。
敬語がたくさん出てくるということは、
敬うべきものをたくさん持っているということです。
そのバリエーションの豊富さの中に古代が見えます。

胎児性水俣病の孫、杢太郎(もくたろう)に語る爺さまの語り。

  あの石は、爺やんが網に、沖でかかってこらいた神さ
 んぞ。あんまり人の姿に似とらいたで、護り神さんになっ
 てもらおうと思うて、この家に連れ申してきてすぐ焼酎(おみき)
 ばあげたけん。もう魂の入っとらす。あの石も神さんち思うて拝め。
 爺やんが死ねば、爺やんち思うて拝め。わかるか杢。
 お前やそのよな体して生まれて来たが、魂だけは、そこ
 らわたりの子どもとくらぶれば、天と地のごつお前の魂の
 ほうがずんと深かわい。泣くな杢。爺やんのほうが泣こうごたる。

 
 爺さまは、広げた胡座(あぐら)の中に彼を入れ、彼をゆすった。
 ゆこうかい、のう杢よい。
 御所の浦までや
 樋(ひ)の島までや
 ん、
 爺さまが島までや
 ん、ん
 婆さまが島までや
 ん、ゆこうかい、ん、
 エンジンばかけて
 ゆこうかい
 漕いでゆこうかい
 帆かけてゆこうかい、
 うん、杢
 帆かけてや、うん、
 こんやは、十三夜じゃけん
 帆かけて ゆくか

2012年07月27日 | Comments(2) | 苦海浄土

苦海浄土5

この本の特徴は、やはりその文体にあるといえるでしょう。

〈わたくし〉が主語の一般的なかたちの他に、
患者やその家族が、水俣の土地の方言で語る部分と、
医師による診察所見や、国や厚生省とのやり取りの中で
交わされた公文書の類をそのままひき写したもの、
この全くおもむきの違う三種類の文体が、
入り乱れてでてきます。

それぞれの一部を引用しながら、紹介しようと思います。


 わたくしは息を低くしながら、海にむいた部落の
 斜面の中ほどにある、九平少年の家の前庭に立っていた。
  珍しく、少年は、家の外に出ていた。
  彼はさっきから、おそろしく一心に、一連の「作業」
 をくり返していた。どうやらそれは「野球」のけいこら
 しくあったが、かれの動作があまりに厳粛で、声をかける
 ことがためらわれ、わたくしはそこに突っ立ったままで、
 少年と呼吸をあわせていたのである。

本のごく初めにでてくる水俣病の患者である九平少年との
出会いの場面である。彼は目が見えない。
遠目には老人のように見える動きで、
棒切れと石とで野球の練習をしている。
その石についての記述。

 石は、少年が五年前、家の前の道路工事のときに拾いあてて
 いらい愛用しているものであることをわたくしは後になって
 知るのである。彼はいつもその石を、家の土間の隅に彼が
 掘った窪みにいれてしまっていた。ころげて遠方にゆかない
 ようにー。半眼にまなこをとじて少しあおむき、自分の窪み
 めざしていざり寄り、ふるえる指で探りあてて、石をしまう
 少年の姿は切なく、石の中にこめられているゴトリとした
 重心をわたくしは感じた。

引用がながくなってしまいました。どこをとるか、非常に
迷ったのですが、この少年との出会いの場面は、この本を
読み始めた私が、驚きとともにひきこまれた所なのでここに
きめました。


2012年07月26日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土4

前提となる認識が変わってしまったので、
なにをどういう順序で書くかという算段が、
すっかり狂ってしまい、昨日は一日、
混乱の中で、考えをまとめるのに大わらわでした。

さて気を取り直して。

水俣病闘争は従来の市民運動と比べると、
かなり変わったものでした。

裁判にもちこまれますが、弁護士という代理人による、
近代法の枠組の中でのやりとりに患者は満足しない。
あくまでも〈社長さんと直接話したい〉という考えでした。
支持者たちは、患者たちのなまの声、死者の思い
(彼らは死んでいった者たちを常に背負っているとリアルに感じていた)
をつたえるにはどうしたらよいかを考え、
それが、株主総会へののりこみ、チッソ本社での自主交渉につながります。

患者たちは、左翼的な思想、階級闘争的な位置づけなど、
どれも受け入れない。
最後には、そういうものと分ちがたく結びついている弁護士とも
決裂してしまう。

「苦海浄土」と石牟礼道子その人が、そんな運動の形を決定したと
いえるのではないか。
「苦海浄土」は患者たちの世界を、現代人にもわかるように
見せた翻訳書という役目をはたした。

支援者たちは自分たちが今まで持っていた、
リベラルで知的な言語、運動論などの全てが無効であると感じ、
完全に黒子となって、患者を支えるしかないと感じる。

なぜなら、患者らのもつ古代的なるもののかけらが、
自分の中にもあることに気がつくと同時に、
これはきっと大事なもので、すっかりてばなしてはいけないと、
感じざるを得なかったからだろう。

また、階級闘争的なものは入り込む余地もなかった。
インテリ知識人の一人である石牟礼道子が、
いつもあっち側にすわっていたから。
「あねさん」と優しげな名前で呼ばれながら。


水俣病闘争は、
丸腰の古代が献身的な支援者を引き連れて、
こけつまろびつ巨大な近代につっかかって行くという
図であるように私にはみえる。

(実際、患者たちは一人残らず水俣病を患っており、
手脚が不自由であったので、支援の学生たちは、
常に盾となって道を開け、彼らがころばぬように、
支えていたのである。)

また長くなった、すまん
2012年07月23日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土3

今日はまた、新事実に気がついてしまって、
いやーこれは大変なことになったと、
ちょっとこまってしまいました。

苦海浄土を読むきっかけは、
福元さんの本であることは前にも書きました。

福元満治さんはペシャワール会の事務局長にして、
石風社という出版社の社長さんです。
ともしび会で講演を依頼した関係でお話しする機会がありました。
その時、福元さんの著書
「伏流の思考 私のアフガン・ノート」を購入し読んだわけです。
その本の最後におまけのように「石牟礼道子と水俣病運動」
という文章がありました。
福元さんは熊本大学の学生として、この運動に関わって
おられたのでした。

この文章をよんだのはずいぶん前ですので、
今日もう一度読んでみたのです。

 〈水俣病闘争の源泉になった石牟礼さんの作品「苦海浄土」〉
という表現があります。また
 〈石牟礼道子の作品世界があって、そこから喚起されたものをひとつの
  「闘争」という具体的な形にする…〉
という書き方も。

わたしは闘争があって、
それが石牟礼さんによって記録されたという認識でした。
しかし、逆なんです。
年表で確認しましたが、
「熊本風土記」に苦海浄土の初稿の連載がはじまったのは、
運動の最初の母体となった
〈水俣病対策市民会議〉の結成より3年も前なのです。

この本が非常に長い時間をかけて書かれ、
合体してできた最終稿であったので、気がつきませんでした。

ひとびとは石牟礼道子の苦海浄土(現在の本の最初の部分)を読んで、
患者さんの病気の深刻さを知るとともに、彼らのもっている
美しい世界観が破壊されようとしていることに気づき、
これを守ろうと動いたというのが、本当のところだったのでしょう。

池澤さんにも、多分このような認識はなかったのではないかと思います。

長くなってすいません。
2012年07月21日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土2

私が今回読んだものは、河出書房新社からでている
池澤夏樹個人編集による世界文学全集の一冊です。
日本の長編として唯一選ばれたのが「苦海浄土」というわけです。
初稿の発表から実に40年をかけて書きつがれた最終版です。

本には、池澤さんによる紹介文
「水俣の闇と光」という文章がはさみこまれています。
これを読むと、私の書きたいことがほぼそのまま、すでに書かれています。
これは困ったなぁと思いました。

池澤さんは、私の大好きなアリステア・マクラウドというカナダの作家を
大プッシュで新潮社のクレストブックスに入れた話もあるように、
けっこう好みが似ているのでしかたないです。

池澤さんと同じことをここに書いてもしょうがないので、
私は〈プチ網野ファンもどき〉でもあるので、
〈海民〉という視点を加えて書いてみたいと思います。


苦海浄土は1950年代の後半に発生した〈奇病〉に罹った患者たちが、
その病の原因がチッソによる有機水銀の海への垂れ流しによるものと、
早くから特定されていたにもかかわらず、
これを認めない会社、黙認する国、国民の無理解と差別、
と闘った記録である。

著者である石牟礼道子はこの地に生まれ、30歳のころ
この水俣病と出会う。
そして患者たちを支え、
一部始終を書き残すという役割を自らに課すこととなる。
2012年07月21日 | Comments(0) | 苦海浄土

苦海浄土

ついに読み終えました。
なかなか困難な道のりでしたが、
じつにおもしろかったし、素晴らしい本でした。

この本は文庫仲間の清水さんにお借りしたものですが、
なんとくださることに!わーい!
(2冊もってたんだって!!??)
本当にうれしいです。
自分の本ということになれば、線もひけるし。
もう一回読むつもりまんまんだからさ。

清水さんは熊本のご出身で、ぜひ本を宣伝してくださいと
いってくれました。
読むきっかけをくれた福元さんも、石牟礼さんのよさを
一人でも多くの人に知って欲しいと言っておられたので、
ここはひとつ力をこめて、宣伝しようと思います。

登山客も少ないしょぼい〈やま〉ですし、
常連客の中にはすでに読まれた方もたくさんおられるようなので、
たいして意味はないかとも思いますが、
ま、気は心でしょ。

〈日本の核の歴史〉と平行して何回かにわけて書いてみます。

2012年07月20日 | Comments(0) | 苦海浄土

てごわい

「苦海浄土」のことです。
やっと半分まで読みました。
もうだめ…と本をパタリと閉じても、
しばらくは使い物にならないヒトになっておって。

石牟礼さんは、ほんのこつえらかおなごばい…
2012年07月08日 | Comments(2) | 苦海浄土

「はにかみの国」

はにかみ

昨日これが届いた。
きれいな本です。

これは、うれしかったこと。

あの厚くて、重くて、素晴らしいやつを、
やっつけたら、これを読もう。
2012年06月27日 | Comments(0) | 苦海浄土

みごとな変態ぶりを見せるわし…

案の定です。
石牟礼さんの文章を読んで、息がつまっています。

われわれがだいなしにしたものが、
あんまり素晴らしいものだったからね。

彼らはあきらかに柿本人麻呂の仲間です。
海と、海の生き物と、交感しあって生きていたのでした。

なかなか読めないのに、
今日は石風社に石牟礼さんの詩集を注文してしまいました。

私はこの著者を奇跡を見るような目でみています。
本当に驚くべきことです。
2012年06月20日 | Comments(0) | 苦海浄土

「苦海浄土」

石牟礼道子が水俣を書いたこの本を、
ついに読むことになった。

ペシャワール会の福元さんの本を読んでいる時、
ルーツは水俣であるということで、「苦海浄土」の一部引用があった。

漁師が蛸について話す場面であったが、
衝撃を受けた。
これは神話か?…

今の福島の状況と非常に近いという感じもあって、読もうと決めた。
本屋に行ったが文庫版は絶版で大きな本はあまりに高かったので、
図書館で借りようと思った。
そんな話をピッピでしたら、
文庫の仲間の清水さんが貸してくれることになった。
これが、厚いんだ。ショック・ドクトリンの上下を足した厚さよりは
薄いからいけるかとおもったりね。

そうこうするうちに、
水俣で患者さんを長く支援していた原田正純氏が亡くなる。
新聞で石牟礼さんが彼の死について語っていた。

さて、今日ついに本を開いた。

最初の3ページで想像を超える、内容の重さにひるむ…
同時にその文章の美しさに驚く…

私は読み切ることができるかなぁ…

2012年06月15日 | Comments(2) | 苦海浄土
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