絵でたどる「天正少年使節」

ひさーしぶりにテレビを見た。
あるよ、と教えてもらった、
日曜美術館「絵でたどる天正少年使節」である。
先日国立博物館で見てきた、
「伊東マンショの肖像画」が今、
長崎、宮崎に里帰りしているので、
その展覧会に合わせて企画されたものだろう。

しょっぱなから大阪の南蛮文化館が出てきてびっくり。
この前の大阪、広島、イサムノグチ美術館の旅で、
大阪で立ち寄ったのが国立民族学博物館と、ここである。
あの南蛮屏風が丁寧に紹介されていた。
屏風みたいなものは本物を見るのはもちろん無駄ではないが、
テレビカメラで、舐めるようにアップで見るのは、
なかなかいいね。向いている。

あと、長崎の二十六聖人記念館が出てきた。
これは先日読んだ高山文彦の「生き抜けその日のために」
に出てきたディエゴ・パチェコ神父が、
初代館長さんをしていたところ。
見たいものがいろいろありそうである。
長崎はぜひそのうち行きたい。

ローマに死ぬほど苦労して彼らが持っていった屏風、
信長からの贈り物に関して、
安土城跡やその記念館が出てきたが、
滋賀県も行きたいじゃんか。

あと五野井隆史先生が登場した。
キリスト教史の学者で、その著作で若桑さんも星野さんも、
お勉強している。
社会問題に盛んに発言している五野井郁夫先生の、
お父さんなのでもっとお爺さんかと思ってたが、
すごい若くて元気いっぱいでびっくり。

番組自体はま、あっさりしたものだが、
やはり何より伊東マンショの肖像画の魅力が、
強烈に光を放っている。
これがミラノで発見された時の印象を、
イタリアの美術館のおばさんが言っていたが、
「目、口元に惹きつけられた、その誇り高い表情に」
まさにこれである。
南蛮人が見ても私と同じ印象を持つのだね。

親指の聖母

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この前国立博物館に、
伊東マンショの絵を見に行きましたが、
その時同時に公開されていたのが、
この「親指の聖母」という絵です。

これは鎖国中の日本に潜入した、
シドッチというイタリア人宣教師が、
持ってきたものです。
この人はシチリアの人ですが、
日本語を勉強し着物を着てやって来た、
河口慧海のような準備万端型の 密入国者です。
この人の遺骨がつい最近、
小石川のキリシタン屋敷という所で発見されたという、
ニュースが印象に残っていたのですが、
彼の遺品が見られるとは思ってもいませんでしたので、
驚きました。
それも逮捕された場所が、屋久島というから!

いま国立博物館のショップで買った、
この二冊を読んでいます。
長崎やばいっす。

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始まっておる!

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伊東マンショ肖像画国立博物館

これも行かねばならん。
こっちは空いているだろう。

星野博美さんのツイートがおかしい。
わかるぅ。
ミゲルの棄教も、なのか…?

@h2ropon: マンショの肖像は多分見に行くけど、私は副使のジュリアンとマルチノ推しなので、「なぜいつもマンショばかりなんだ…」とため息が出る。そういうことの数々がミゲルの棄教につながった、と私は思っている。

星野さんついとより

イタリア関係の展覧会情報

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個展が終わったら行こうと思っていた、
モランディの展覧会です。
これはどうしたって好きなので、行くしかない。
日伊国交150周年の記念の催物のひとつです。
ボッティチェルリのお姉さんが、
妙にいやらしい感じにデザインされていて、
感心しないこの小冊子を見ると他にも盛り沢山です。

中でも一つ、どうしても見たいのは、
あの伊東マンショの肖像画です。
何と二年前に、
個人のコレクションの中から発見されたそうです。
作者はなんとティントレットですよ!
これは五月に国立博物館で展示されます。

クワトロラガッツィは、
原マルティーノがマカオに追放されそこで没。
ミゲルは早い時点で棄教、その後消息不明。
ジュリアンは日本に残された信者と共に、
迫害の日々を送ったその果てに、
最も残酷な穴吊りという方法で殺され殉教。
このマンショだけが病没しています。
一番幸せなラガッツォかもしれない。
かなりできる男で、秀吉から家来になれと、
しつこく迫られている。

他の人ももしかしたら肖像画はあるのか?
とにかくリアルな油絵なので、
そうか、マンショはこんな顔だったのかと、
よくわかる。
絵はマンショの故郷の宮崎県にも里帰りするらしい。
これがたのしみである。

ヴァチカン図書館から

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@marenostrum2: 「天正少年使節からヴェネツィア共和国政府への感謝状」(1585年7月2日)がデジタル化。
下に花押と欧文のサイン。
「原マルチノ 中浦ジュリアン 千々石ミゲル 伊東マンショ」 
リンク→http://t.co/3sxnINv8P5 http://t.co/emb5kUSql9

marenostrum2さんのついとより

教えられた通りに行って見て、
バチカン図書館のサイトから、画像保存しました。
クワトロラガッツィの花押がくっきり見られます。
読める人は本文もどうぞ。

井伏鱒二の本の中で再会!

先日図書館に行った時、
借りたかった本は二冊ともなくて、
うろうろしてたまたまあった井伏鱒二の本を借りてきた。
そこで予想もしなかった再会があったのである。

「神屋宗湛(かみやそうたん)の残した日記」
という本である。
これは短編集で、中には知っているものもあったが、
この表題作は初めて読んだ。
神屋宗湛は博多の豪商で、茶人、のち出家する。
信長、秀吉に可愛がられた人である。
この人の日記から、ところどころを、
井伏鱒二が現代語訳をしている。

何と驚いたことに、この人の日記に、
クワトロラガッツイに出てきた、
あの黒人が登場するのである!

古い漢字がいっぱいなので上手くできるかわからんが、
次回そこと、あともう一人興味深い人が出てくるから、
少し引用してみるね。

ジュスト右近様近況

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死んじゃったら近況とは言わんかな。
本日の夕刊に珍しい記事発見!
あのジュスト右近様が、福者に!
右近様は福者にまさにふさわしいです。
ジュストです!これジャストのことね。
なんか嬉しいんだけど、私は。

この前図書館で偶然マカオの案内の本を見たんだけど、
イエズス会のセミナリオや、教会の紹介はあるのに、
一言も天正少年使節のことも、
そこに眠る、原マルティーノのことも、
もちろんドラードのことも、触れられていない。
なんか本当に作為的なものを感じてしまう。
それなのにヴァチカンはちゃんと、
彼らのことを覚えていてくれて、嬉しいよ。

活版印刷機欲しいんだけど

活版印刷の話ばかりしてたら、
TLに廃業する印刷屋さんが、
活版印刷機三台と活字など一式を、
引き取る人はいないかという話が流れてきて、
馬鹿みたいに欲しくなって困った。
無理だよね。いくらなんでも…
ドラードがいてくれたらなぁ。

来た!

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昨日は実物見たからね、
いろいろとバッチリイメージできるぜぃ!
むははは、嬉しい

直筆!

直筆というには本当に不思議である。
この前民芸館で一遍の字を見た時もそうだったが、
目に前にあるのは、紙という物質の上に、
残されたただの墨の跡である。
これを書いた人間はとうの昔に、
この世から消えているのに、
見ていると時空を超えて本人の気配が蘇る。
そこに居るような感じがする。
どきどきする。

キリシタン版

どちりいなきりしたん

この美しい活字。
これから作ったんだからねぇ。
右ページの絵は元本の挿絵を、
描き写したものであるらしい。
長崎で印刷され、ヴァチカン図書館蔵の一冊。
いぇーい!

ヴァチカン図書館展

印刷博物館行ってきました。
ベネツィアに送った御礼状や、
キリシタン版の書籍の実物や、
若桑さんが読み込んだ、神父が、
ローマに宛てて書いた報告書など、
いろいろ実物拝見してきましたよ。

御礼状は四人の花押と、筆記体のサインが、
並んでいます。
こういうのはちょっと興奮します。
まさにこの紙の前にマンショが座って、
左手で紙を軽く押さえながら、
筆を走らせたんだと思うと…

面白かったです。

五人目の少年ドラード

「活版印刷人ドラードの生涯」
青山 敦夫 印刷学会出版部

印刷学会出版部というのが渋いやろ?
これを注文した。

四人と一緒に旅をしたドラードという少年は、
日本名はわかっておらず、ポルトガル人との混血で、
捨て子であったと言われているが、
詳しくは不明である。
ドラードという言葉が金鍍金のいみがあるので、
若桑さんはもしかして、金髪だったかもと書いている。
ともかくポルトガル語がうまかった。
ヴァリニャーノは彼をスカウトして、
印刷工として育てようと連れて行ったらしい。
旅先のリスボンで印刷技術を学んでいる。

帰国後はマルティーノと共に、マカオに追放になり、
マカオで彼と共に多くの印刷に関わり、
最後はマカオのセミナリオの院長にまでなっている。
ドラードの墓もマルティーノと同じ教会にあるという。

ちょっとうんざりかもしれんが、
本がきたらまた、ご紹介する。笑
クワトロ・ラガッツィ熱はまだひかない…

クワトロ・ラガッツィの最後に

この本の中でもう一つ私が注目したのは、
イエズス会によって印刷された出版物のことである。
ヴァリニャーノはやはり断トツに先見性のある、
一級の知識人であり、きれものであったと思う。
彼はできたばかりのグーテンベルグの印刷機を、
日本に投入した。
彼は印刷工として育てようと、
ポルトガル人の混血少年も、
ラガッツィとの旅に同行している。
(この子についての小説もあるらしいのでぜひ読みたい)

これを使って、様々な本が出版された。
その後キリシタン関係の出版物は、ことごとく、
焚書の憂き目にあったが、
隠されていたものや幕府が取り上げたもの、
海外で保管されていたものなど、
世界で三十冊ほどが残っている。
もちろん日本ではじめての活版印刷による書籍であり、
世界的にも最も早い時期のもので、大変有名である。

私は何度もこれを写真などで見ている。
書体の見本としてみたこともあるし、
日本語の言葉の変遷に関する本で、
イエズス会刊の辞典から例がとられていたのも読んだ。
(もしかして大学でも教わったのかもしれない。笑)
こう言う背景があったのかといまごろ初めてわかった。

これらの印刷に深く関わったのが、原マルティーノである。
彼は四人の中でも特に語学の才能があって、
ラテン語に優れ、翻訳や編集要員として大活躍した。
辞典やキリスト教関係のものばかりでなく、
イソップ物語などもある。
ものにはそれぞれに背景があり、
それがわかってこそ価値がわかる。
私はただなんとなくイエズス会?と見ていたが、
今なら、最新の印刷機が(重いのに!)
日本にあったことを喜び、
あのマルティーノがねぇと、
感慨深く鑑賞することができるだろう。
実物を見てみたい。

日本では当時の教会や施設などの建物はことごとく壊され、
残っていないが、ゴアやマカオには今もある。
ゴアはアジア布教の前線本部であり、
マカオは日本への直接窓口であった。
ゴアには今回の登場人物たちに先立って日本に布教にきた、
ザビエルが眠っている。
マカオの教会にはヴァリニャーノの墓と、
原マルティーノの墓がある。
ヴァリニャーノは我が子のように、
四人の少年たちに期待もし、可愛がっていたから、
ついに母国に帰ることはできなかったマルティーノが、
一緒で、ちょっと良かったなぁと思う。

若桑さんが読み込んだ和洋の資料の数は膨大で、
その扱いも客観的で、素晴らしい論文でもあるが、
読み物としてじつに面白かった。
登場人物がみな生き生きしている。
キリスト教の宗派の争いや、神父同士の張り合いや、
そんなのもいろいろあるが、
信仰のために、それだけのために命をかけ、
異国で生涯を終えた神父たちもすごいものである。
また、庶民の信者たちの一途さは感動的である。
宗教によって人は強く生きることができるのか。
日本にはその後、隠れキリシタンとして、
250年間、信仰を守り神父様が戻ってくるのを、
待ち続けた続けた人たちがいる。
これもまた圧倒的である。

おしまい。

「天正少年使節と世界帝国 クワトロ・ラガッツィ 上下」
集英社文庫
若桑みどり著

クワトロ・ラガッツィ10

あまり人気がないようであったが、
ずいぶん引っ張って書いてきた、
クワトロ・ラガッツィもついに終わりにするかな。

徳川の時代にはいると、
いよいよキリシタンに対する迫害は、
激しさをました。
ラガッツィが長崎から船出した頃が一番いい時代であった。

四人が日本に帰ってきたのは、
なんと八年と三ヶ月ののちのことであった。
11歳から15歳の少年たちは、すっかり大人になっており、
出迎えた家族の誰もが、母でさえ我が子を
見つけられなかったという。

彼らは勉強を続け司祭をめざしたが、
その後は苦難の連続であった。
伊東マンショは、迫害を逃れ点々とする中で病死する。
原マルティーノはマカオに追放されそこでしんだ。
千々石ミゲルは背教。彼のその後についてはよくわかっていない。
中浦ジュリアンは最後まで国内の信徒を助け、
殉教した。
穴吊という、ちょっとここに書きたくないほどの、
最も過酷な拷問を受け五日間耐えた後死んだ。

本編の最後はこのジュリアンの殉教の場面である。
彼が遠のく意識の中であの旅のことを、
おもいだいしていたのではないかと。

「一日中甲板で魚釣をしている少年たちに、
メスキータ神父が叫ぶ。
「クアトロ・ラガッツィ!スー、アル・ラヴォーロ!」
4人の少年よ!さあ、勉強だ!」」

彼らは旅の間もすっと、
聖書研究とラテン語の勉強を続けていた。
ヨーロッパでは彼らの見事なラテン語に皆驚いたものである。
彼らが釣りに興じた話は、
私も特に気に入ったエピソードである。
全体に偉い真面目な彼らが唯一わんぱく少年のような姿で、
描かれている場面だった。
その時のことを若桑さんがジュリアンの最後に重ねて、
この本の締めくくりにしたことを、
私は嬉しく思った。
少し涙が出た。


あと一回番外編を書いておしまいにする予定

クアトロ・ラガッツイ9

ラガッツイ達がまだ日本に帰り着かない間に、
日本では信長は討たれ、秀吉の時代になる。
秀吉は周囲に仏教関係者がくっついていて、
キリシタン嫌いであった。
伴天連追放令が発令され、最初の殉教者が出る。

京都で拘束されたフランシスコ会とイエズス会士と、
会の周辺で働いていた日本人、合計26人である。
彼らは耳を削がれた上、町々を引き回されながら、
長崎まで歩き、そこで磔にされ槍で突かれて死んだ。
凄まじい状況を生々しくかき残したものがある。
殺された日本人は皆身分の低い庶民であったが、
その純粋な一途な本物の信仰の力は、
恐るべきものである。
皆非常に立派な最期であった。
子供と言っていいほどの若者もいたが、
その二人は、槍が突き刺さる瞬間まで、
美しい声で賛美歌を歌っていたという。
付き添った本場の外人のパードレたちをも、
深く感動させたほどであった。

島原の乱などもこんな感じなのだろうと思う。
最近やまで話題になったスコセシの「沈黙」を、
見て見たいような気がしてきた。

クワトロ・ラガッツィ8

誰でも少しでも歴史学に興味を持って、
自分で本を読み始めると、
中学や高校で習った歴史は、
こういう風に教えたいという政府による
作られたストーリーだったことがわかってきます。
ま、現在の教科書検定を見ていてもそのまんまだ。
そして歪んだナショナリスト、歴史修正主義者は、
歴史学者の中には予想以上沢山いる。

このクワトロ・ラガッツイの旅は、
世界史的には、キリスト教世界にとどまらない、
非常に大きなインパクトのある事件であった。
しかし、日本では反対にあっけないほど評価が低い。

このあとに起きる、キリシタン大弾圧を正当化し、
若桑さんも「ジェノサイド」という言葉を使っているが、
残酷な大量虐殺、皆殺しの事実を闇に葬るためには、
たぶん、無視するに限る出来事だったのだろう。
日本人の若者が外国でそれも白人の文明の真ん中で、
高い評価を受けるという、日本人なら、
大好きなタイプの案件であるにもかかわらずだ。

私もこの本を読むまで、ここまですごいことだとは、
思ってもいなかった。
そもそも日本にキリシタンなんて、
たくさんはいなかったかのような印象が作られている。
殺されたキリシタンは、数十万といわれる。
ヴァリニャーノを歓迎するミサは、
右近の地元高槻で行われたが、
集まった信者は1万5千人と書かれているから、
その周辺だけでもこれだけのキリシタンがいた。
信長も秀吉も、実は宣教師達と深く付き合っている。
「1580年の時点で、15万nの信者200の教会、
85人の神父がいて、その中の20人は日本人であった。」

クワトロ・ラガッツィ関連

もはや全然珍しくもないし、書きたくもないんだが、
姉の図書館には「クワトロ・ラガッツィ」もあって、
早速借りてきたようである。
私は先日来体調が万全でなく、本も読めなかった。
もしかして追い抜かれたんじゃないかと、
心配していたが、姉もちょうど目の調子が最悪で、
お休みしていたらしい。ほっ
私の読書ともだちの市川にしても、姉にしても、
獲物に襲いかかるような勢いで読むので、
ものすごく早い。
いつも私は遅れをとるのである。

若桑みどりという人が、大変気に入ったので、
ちょっと調べたんだけど、
お父さんは英文学者というのは知ってたが、
プロレタリア作家という肩書きもあった!
さすがに私が気にいるだけあって、
赤っぽい人なのである。
なーるほどであった。

クワトロ・ラガッツイ7

ヴァリニャーノはセミナリオという神学校を作り、
キリシタンの師弟の教育に乗り出す。
聖書のことやラテン語や、
オルガンなどの楽器演奏まで教えた。
また世界の最先端の印刷機まで取り寄せ、
テキストや辞書の印刷まで手がけた!

日本の若者たちの成長ぶりが目覚しいので、
これはいける、もっとセミナリオがいる。
それにはどっさりお金が必要ということになる。
ヴァリニャーノは優秀な日本の少年たちの、
実物を見てもらいたい(色の白いところも)
手紙で日本はお金をかけるだけのことあるよと、
知らせるだけじゃまだるっこしいと思った。
そして将来の日本のキリシタンをしょって立つ、
幹部候補生に本場のすべてを、見せ聞かせ、
詰め込めるだけ勉強させたかった。

四人のラガッツイは、
セミナリオの優秀な一期生、親がキリシタンの、
幼児洗礼組の中から選ばれた。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、
原マルティーノ。
1582年2月20日、つまり天正十年一月二十八日、
一行9人を乗せた船が長崎を出帆した。

この長い旅路を見よ!
嵐や座礁や海賊や病気、あらゆる困難を乗り越え、
ほとんど奇跡的といえる、行きて帰りし物語である。

くわっとろ地図

クワトロ・ラガッツイ関連文書

@marenostrum2: ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 書物がひらくルネサンス 印刷博物館
本日からですね。ぜひ。
http://t.co/dtwJkNSrqm

@Takeridon: 「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 」で私が最も魅入られたのは、天正遣欧少年使節団の1585年の文書。ヴェネチア市主催の歓迎行事への感謝の言葉が綴られている。四人の少年の花押もあり、彼らの息遣いを感じる、クラクラした。教皇庁図書館所蔵。 http://t.co/iZTQCxCmTe

201504261236137b7.jpg


marenostrumさんのツイートから

ヴァチカン図書館展というから、これはあるかもと、
思った途端、あることがわかった。
クワトロ・ラガッツイの足跡を見に行かねばならん。
何というタイミングじゃ。
夢にようじゃ。
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