「昆虫はすごい」

丸山先生の名著「昆虫はすごい」にかかった。
これは素人が昆虫に興味を持つきっかけになるような、
優れた入門書で、全体的なことから、
あっと驚く珍しい生態までバランスよく入っていて、
実に面白い。

やるき氏が好きなキノコ栽培業を営む蟻の事が、
これにはやや詳しく出てくる。
ハキリアリが有名だがシロアリにもキノコ栽培者がいる。
アリとシロアリは蟻の白いやつと黒いやつほどに、
考えがちだけど、実は、
アリがハチ目、シロアリがゴキブリ目で、
かなり遠い関係にある。
住むゾーンも離れた遠い関係の種が、
それぞれに独自にキノコ栽培にこぎつけたのである!
栽培技術は実に高度で本格的。
土の中に菌床はあるが、別の菌が繁殖しないように、
胸部から出る抗生物質を使って、
お邪魔な菌は排除する。
土壌菌はいっぱいいるから、そういうことでもしないと、
菌床はあっという間にカオスと化してしまうだろう。
人間と違うのは、我々は子実体を食べるが、
彼らは菌糸を食するのである。
菌糸の方がいっぱい取れるから、
わしらもそっちを食べたほうがいいんでないかな。


2017年08月22日 | Comments(0) |

「昆虫こわい」

私はさすがに小松さんのファンだけあって、
小松さんの先生にあたる丸山宗利の本にかかった。
将を射んとすれば、というあれだな。
別に射んとしてないけど。笑

「昆虫はすごい」は知っていたけど(まだ読んでないけど、)
すごく売れた本で、2015年度新書大賞!
11万部突破!とはすごいね。
まず新しく出た「昆虫こわい」を読んでみた。
主に海外に昆虫探しに行く話だが、
さすがに面白いし、もちろん小松氏も同行者として、
随所に登場し、その奇人ぶりが花を添えまくっている。
これは新書ながらオールカラーで、
地味目な好蟻性昆虫の他に、
珍しいツノゼミや美しい蝶もたくさん出てくる。
丸山先生は好蟻性昆虫の日本の第一人者であり、
主にハネカクシが専門で、ヒゲブトオサムシも大好き。
これは本当にかっこいい。
ヒゲの造形が素晴らしい。(私も描いてみたくなった)
またツノゼミの専門家でもありツノゼミの本も出している。
ツノゼミの多様さは恐れ入るレベルである。
昆虫嫌いの人もきっと楽しめる本である。
昆虫学者の仕事は実際過酷だし、
よほどの昆虫好きにしかできないと思う。
小松氏も初めての海外で夢に見たジャングルに行った時、
興奮しすぎて気を失った!
彼らが珍品を発見した時の、爆発ぶりも凄い。笑
丸山先生も興奮が冷めやらずに不眠症になるほど。
いやー、なかなか。

日頃、人々は観察力が足りないと文句を言う私だが、
観察するには少なくとも、どうなってるんだろうと、
疑問に思ったり、知りたいと思うことが必要で、
それが粘り強い観察のモチベーションになる。
そして日頃の観察があってこそ、
いつもと違う状態、普段はいないもの、など、
新発見につながるということがよくわかる。
疑問に思ったり知りたいと思ったりする感覚は、
子どもはみんな普通に持っている。
それを失わずにうまく育てた人が、
面白い有能なイキイキしたおとなになるんだな、きっと。
とにかく生物学者は動物一般が大好きで、
小松氏は鳥では、烏と雀が好き、
丸山氏はクマでは、マレー熊が一番好きとか、
色々私と趣味が一致するところも嬉しい。
2017年08月21日 | Comments(0) |

「世界9月号」

また次の世界を読んでいる。
韓国の文大統領は頑張っている。
日本はアメリカに何一つ口答えせず、
言われたことをハイハイとやっているだけなので、
外交と言っても頭を使う必要が無い。
世に言う思考停止というやつである。
アメリカのような力任せの国の、
言いなりにならないためには、
やはりうんと頭を使わねばならない。
韓国は非常に難しい外交を、堂々と、慎重にやっている。
アメリカと言っても、ワシントンと軍ではまた違う。
なんせ韓国にとって北朝鮮は地続きのお隣だから、
どちらが仕掛けるかに関わらず、
武力衝突は絶対に避けたいだろう。
フィリピンもマレーシアも、揺さぶられながらも、
色々考えていそうだし、中国はもちろん賢い。
そもそも割に可愛い顔で丸っこい金君も馬鹿では無い。
これは別の時に読んだが、彼は独裁者だが、
いろいろなことを正確に理解していると、
西側の彼と接触した人たちは言っている。
反対するやつ嫌い、むかつく、みたいな感情しかない、
日本の彼は、もう比べる相手がいないレベル。
まさに世界一ではなかろうか。
太郎くんも早速お見事な言いなり外交である。
ま、知ってはいたけど。
父上はどういう気持ちで見ているのだろう。
洋平くんはなかなか見識のある男であるから、
ちょっと気の毒。
2017年08月19日 | Comments(0) |

「アリの巣の生きもの図鑑」

先日来若い生物学者の本を、
三冊続けて読んだのだが、
もうダントツにわたしがおすすめするのは、
小松貴著の「裏山の奇人」です。
表紙のグラフィックが目を引いたので、
「バッタを倒しにアフリカへ」のほうが、
売れたと思うけど。
(平積みになってましたからね。)

小松氏の学者としてのスタンスは、
本当に尊敬に値するものですし、
彼の捕虫テクニックの素晴らしさは他の追従を決して許さない。
昆虫学者は昆虫を捕まえなくては研究ができませんから。
そして人柄も大変好ましく、文章もうまいです。
(褒めまくり、笑)
彼の専門とする蟻と共生して生きる生物の、
生態は生物多様性なんていう言葉が、
もの足りないほどの、ワクワクするような、
不思議に満ちています。

南米で軍隊アリの行進を観察する場面では、
私もそに場にいたように呆然としてしまった。
軍隊アリの破壊力は凄まじいので、
黒い川のような行軍の道筋に当たる地面に住む昆虫は、
察知するとワラワラと逃げ出すのですが、
この逃げ出す昆虫を狙って、
アリドリという鳥がやってくる。
私はこの鳥のことは偶然知っていたのですが、
こういう場面でこういう風に採餌するのかと初めて知った。
(これはオスとメスが青と赤で別の鳥のように違う。)
また逃げ出すゴキブリに産卵するハエが、
これも行列目指して寄ってくる。
ハエは昼行性でゴキブリは夜行性なので、
軍隊蟻の行進は二者が遭遇するまたとないチャンスなのです!
ハエは蟻に直接絡む訳ではないが、
こういう形で依存しているのです。
(筆者が完全に惚れてるのはメバエというやつ)
鳥や虫の糞を狙ってやって来る蝶も華を添える。
様々な利害関係者たちが勢ぞろいして、
著者が言うところの、天国か地獄かわからんような、
凄まじい阿鼻叫喚の場面が展開する。
(ビジュアルだけでなく彼らが出す音の総体も凄いらしい。)
関係は食べる食べられるといった、
単純なものだけではないとこがすごい。

という訳で、
小松貴さんの「裏山の奇人」を二回連続で読んだら、
やっぱりこれは買わねばいかんあなぁと思って、
世界でも珍しい好蟻性昆虫の図鑑、
「蟻の巣の生きもの図鑑」を買ってしまった。
紀伊国屋にあるかなぁと思ったらあっちゃったので…
私ははっきり言って小松貴さんのファンです。
はい。

日本のこの手の図鑑では珍しく、
レイアウトデザインがすごくきれい。
小松氏も大活躍の昆虫の写真が、
非常に美しいせいもあるが。
小松氏は新種をバンバン見つける天才生物学者だが、
写真の腕もいける。
このレベルの昆虫写真は逆に専門家が撮るしかないわけだ。
どこにいるかわからん地味な虫を、カメラの腕は良くても、
専門知識のないカメラマンには撮れないだろう。
見つける事ができる人が撮るしかない。
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2017年08月16日 | Comments(0) |

「暮しの手帖」

今日は婆さんのものと思われる、
「暮しの手帖」を何冊か読んだ。
どなたかがプレゼントしてくれたもので、
カードが入っている。
カードが入ったままになっているところを見ると、
婆さんはさほど熱心な読者ではなかったようだが。
この雑誌は実家の母が定期購読していたので、
私は馴染みがある。
実になんともいえず懐かしい。
これは編集のコンセプトがはっきりしていて、
良い雑誌であるから末長く続いて欲しい。
読むところが多い。
料理のページも良いヒントがある。

太郎くんというダウン症の男の子の、
就職活動の記事をを読んだ。
母親の手による文章である。
彼はデニーズに見事に就職が決まるのだが、
そこに至るまでの実習の様子、
養護学校の先生や受け入れ先の人達など、
親を含めて彼を取り巻く人々の様子や、
本人の奮闘ぶりが、実にリアルに描かれていて、
結構長いが面白く読んだ。
私はファミレスというものにあまり行かないが、
中で最も好感を持っているのが、
まさにデニーズである。
これを読んでますますファンになった。
良い企業である。
2017年07月29日 | Comments(4) |

「京都の庭と風土」続き

お庭の本が面白くて腰が抜けた。
こう言う事だったかと、
今更いろんな事が合点がいった。
広い敷地の庭から、禅宗が入ってくるともに、
抽象的なミニマムな庭ができる。
禅宗は日本の文化に非常に大きな影響を与えたんだねぇ。
禅宗が持ち込んだのはあと、お茶の種。
これが茶道の始まりになる。
盆栽も禅宗のもたらしたもので、
小さな盆の上に世界のエッセンスを凝縮する考え方は、
枯山水、石庭と同根である。
お茶も盆栽も最初はお坊さんのやる事だった。

庭を作る要素は池、滝口、流れである。
かつて水源から土木工事をして水を連れて来ていたわけだが、
後には石の組み方で滝口を作り、
白砂が池や流れを作り、
液体なしに水を感じさせる庭ができた!
「作庭は、自然石や自然形の樹木を用いて、
空間に山水の絵画を立体的に描く事」だと、
この著者は書いている。
様々の石を室町時代にすでに四国や南紀から、
運んできたという。
牛が46頭で引いてきたという話もあった。
以前行ったイサムノグチの美術館は、
四国の高松のそば、石の産地であった。
きっとあそこからも大きな石が京都に運ばれたのだろう。
あんな重いものをねぇ。
あと、足利義政のお庭好きが呆れるほどだった。

この本を読んで昔見た桂離宮の事を思い出した。
母がまだ生きていた時、母と姉と一緒に行った。
私はことのほかその垣根が印象に残ったのであるが、
ついにそれが桂離宮独特の桂垣、桂穂垣である事がわかった。
生きた竹で編んだ垣根や竹を使った美しい塀である。
私はあの時、入る前に実は垣根にまず驚いたのである。

この本を読んで、
また行きたい場所が増えちゃったじゃないか。
2017年07月29日 | Comments(0) |

「京都の庭と風土」

じいさんの書棚から幾つか抜いてきた本があって、
一冊はレイチェル・カーソンの「海辺」。
これ「沈黙の春」の人で、結構面白そうなんだけど、
どうしても訳文が気に入らない。
(訳者の献本なんですけど…)
もう一つは「京都の庭と風土」という、
かなり古臭い外見の本。
著者は中根金作さんという造園家で、
京都の有名なお寺の修復をしている人です。
先日京都に行った時に、
石峰寺という若冲の五百羅漢のあるお寺と、
東寺に行ってきたのもあって、
どれどれと読みはじめたが、これが意外に面白い。
お寺に行ってお庭を拝見するが、
特に専門知識もないので、
どうしても建物や仏像に気を取られてしまう。
これを読んでいやーなかなかにに深いじゃんかと、
今更ながら感心するばかり。
当時の竜谷時の敷地の広さに呆れる。
亀山天皇の別邸のあったところを、
お寺にしたわけだけど、借景の山まで含んで寺領である。
はるか彼方の山に登って、ちょうどいいところに、
桜を植えてきたりね。
これは網野さんの本に出てきたけど、
明治政府は寺領をうんと取り上げた話が出てきたけど。
なるほどこういう事かと。
2017年07月28日 | Comments(0) |

これも世界から

フィリピンのミンダナオ島で、
ISが暴れまわって、
ドゥテルテ大統領を揺さぶっている。
彼がモスクワにプーチンに会いに行った日に、
まずは騒乱が始まった。

フィリピンのIS勢力は入念に準備され、
膨大なアメリカ製武器で武装した、
各国から集まった勢力である。
アメリカに対して歯に衣着せぬ発言をし、
ロシアに接近するとどうなるかという事。
ISの使われ方は共通している
便利な脅し用のテロ軍団である。

こういうめちゃくちゃはいつまで続くのか。
日本も露骨な対米従属を少しでもやめたら、
テロが始まるのだろうか。
2017年07月26日 | Comments(0) |

世界から、国家戦略特区について

今月号はなんか中身が詰まっとる。
「国家戦略特区の実相とは」という座談会が優れている。
郭洋春、那須りえ、内田聖子の三人は、
TPP問題でも常に重要な発言をしてきた人たちで、
私的にはおなじみかつ信頼できるメンバーです。
那須さんは大田区の区議ですが非常に詳しいし、
話が分かりやすい素晴らしい人です。
このレベルの分かりやすい対談を、
国民全員が読めるといいんだけど。
そう長くもないし、難しくもないし。
これ新聞かテレビでもやるべきと思う。
しょうがないから少し紹介するか。

「特区」という制度は小泉政権で始まり、
小泉時代とやや趣向を変えて国家戦略特区として、
第二次安倍内閣で2913年12月に施行されます。
(別の記事の中で小泉は墓場に持っていくしかないことを、
たくさんしてるという話もあったけど、
日本が世界の新自由主義者に国を開き、
国内のネオリベに道を拓いた張本人はやはり小泉である。
彼の反原発はせめてもの罪滅ぼしなんじゃないかと、
私はいつも感じている、そんなんじゃ済まないけど…)

現在全国に10箇所。
東京圏、関西圏、沖縄県、新潟市、兵庫県養父市、
福岡市・北九州市、秋田県仙北市、仙台市、愛知県、
愛媛県今治市・広島県
養父市、これは「やぶ」と読む。
なんか特区のインチキ話はモリとかカケとか、
蕎麦用語が多くてついにヤブまで出てきて、
面白すぎる。
ここでは、お友達竹中平蔵が豪快に食い込んでいる。
アベは特区制度を、岩盤規制をすべて壊す、
そして経済成長GTP600兆円達成、
世界で最もビジネスのしやすい都市にする、
という風に豪語してきたわけである。
この制度の最大の特徴は、官邸・首相の、
トップダウンで物事が進むことである。

続く
2017年07月23日 | Comments(0) |

バレンボイム2

財団の支援のもと、
パレスチナのヨルダン川西岸地区に、
音楽学校と幼稚園ができる。
バレンボイムは度々パレスチナを訪れ、
音楽によるメッセージを発信し続けた。
(バレンボイムはイスラエルのユダヤ人である。くどい?)
また昨年は画期的な年になった。
ドイツのベルリンに、
バレンボイム・サイード・アカデミーがオープンした。
また「ブーレーズ・ザール」という
コンサートホールが完成する。
バレンボイムとサイードの活動は、
ナチスドイツの首都だったベルリンに、
ユダヤ人とアラブ人の音楽の拠点を作り上げたのである。
このアカデミーは音楽だけでなく、
哲学や文学も学ぶというのが特徴であるという!

さてこの記事に、
バレンボイムのこと、ブーレーズ・ザールの事を、
詳しく語っている日本人が出てくる。
豊田泰久さんという音響設計家である。
私はそういうお仕事があることすら全く知らなかったが、
彼こそこのコンサートホールの音響設計をした人であり、
世界中で多くのホールの設計に関わり、
国際的に有名な方であるらしい。
(日本ではサントリーホール等)
このホールは楕円形をしている。
ここでは曲ごとに演奏家は楽器の位置を動かす。
一つのコンサートの中で、観客は、
オーケストラの正面で、また別の曲では指揮者と向かい合って、
音楽を聴くことになる。
演奏家と観客の距離が近く、互いにコミニュケーションを、
交わしている気持ちになるという。
ホールの設計者はフランク・ゲーリー、
この建築家も無償で設計を引き受けた。
彼が豊田さんをご指名したらしいが、
「私は無償で引き受けている、ギャラについては、
私と同じ、つまり…」という話だったという。

さてバレンボイムはその広範な音楽活動とともに、
常に言葉でも力強いメッセージを発し続けている。
文化や教育がなおざりにされることへの危惧や、
中東の問題について。
パレスチナ問題は、ホロコーストから始まっており、
全ヨーロッパが責任を負うべきであると。

今現在パレスチナはかなりひどい状況である。
イスラエルのやり方の酷さは目に余る。
バレンボイムのようなイスラエル人が、
頑張っているにもかかわらず…
ちなみにバレンボイムはインタビューの際も、
常に葉巻(キューバのコイーバ社製)を手放さない。笑
2017年07月21日 | Comments(2) |

ダニエル・バレンボイムのこと

ダニエル・バレンボイムという音楽家をご存知か?
私はクラシックに甚だ疎いので、
まさに名前を聞いた事があるというレベルであった。
8月号の世界にはこの人の記事があった。
全くびっくりするほどかっこいい人であった。

ピアニストとしての腕前は子どもの時から、
フルトヴェングラーに天才と呼ばれるレベルで、
指揮者としてもマエストロである。
ベルリン国立歌劇場の音楽監督を長く務める。
それに加えて、非常に政治的な活動をしている。
1942年ブエノスアイレスに生まれた、
ロシア系ユダヤ人であり、
その後家族とともにイスラエルに渡る。

彼の(日本人が大嫌いな)「音楽に政治を持ち込む」活動は、
文学者批評家のエドワード・サイードとの友情から始まった。
サイードはパレスチナ人である。
彼と、やはりユダヤ人チョムスキーの友情も有名である。
(大江健三郎との交流も)
比較的若くして死んでしまったが、
彼の残したもの、その影響力は非常に大きい。
私はサイードについてよく知らなかったが、
チョムスキーや大江の本に出てくるので、
これはきっとすごい人だなぁと思っていた。

バレンボイムはこのサイードと、
90年初頭にロンドンで出会った、
二人は中東の問題をただ眺めているだけでなく、
人々をつなぐ事を目指そうと意気投合する。
音楽を通して。
イスラエル、パレスチナ、シリア、エジプト、
政治的な要因で出会うことのなかった人たちを集め、
管弦楽団を組織する。
最初はドイツが舞台となったが、毎年場所を変えて、
ワークショップをし、コンサートを開く。
しかしイスラエルとパレスチナの関係が悪化するなど、
継続は難しかった。
その時スペインから救いの手が差し伸べられる。
これも全く知らなかったが、
スペインのアンダルシア地方は、
中世に、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の、
人達が7世紀間にわたって平和的に共存した、
世界でも稀な土地であるらしい。
この地にはそれを記念する「三つの文化財団」
というものがあり、
ここがサイードたちのプロジェクトの重要性を認め、
毎年セビリアで続けたらどうかと提案してくれる。
2003年にはサイードの死という試練があるが、
これも乗り越え、スペイン政府の支援を受け、
2004年に、セビリアに、
「バレンボイム・サイード財団」が設立される。

続く。
2017年07月21日 | Comments(4) |

世界から袴田さんのこと

このところ世界には、
青柳雄介氏による袴田さんの記事の連載が続いている。
私はこれは本当に読むのが辛い。
今回は袴田さん自身の日記の紹介だけしてみようかと思う。

監獄の庭にある紫陽花が枯れそうであったがこの雨で正気がでるであろう。明日が楽しみだ。私が存在し真理を叫び今日まで生きてこられたのは、誰かの愛があったからだ。そして今現に生きているのも誰かの愛があるからである。もし、人生から愛を根こそぎ取り去ったら、生きるに値する何ものも残らぬ。
(1982年6月14日、獄中日記より)

私は時に思うのだが、監獄の狭い運動場では十分に走れないので、せめて百メートルくらいの距離でよいからめいっぱい走りたいと。
私が自由を勝ち取ったならば最初に叶えるのがこの果てない夢であるに違いない。肩と股で風を切って走る。想像しただけで全身がうずくのである。
(1984年6月18日、獄中日記より)
2017年07月16日 | Comments(0) |

世界8月号から

もう次の世界がでていて追いまくられる。
今月も面白い話、暗い話、絶望的な話と、
盛りだくさん。
比較的希望の持てる話から紹介してみる。
イギリスのお話。
ブレイディみかこさんの記事
「イギリス総選挙で見せた左派の底力
進歩的などぶ板政治」より。

ブレグジットの後メイ首相は総選挙に打って出て、
支持を磐石にする予定だったのに、
そうはいかず、コービンの労働党が、
飛躍的に議席を伸ばした。
保守党と労働党マニフェストの中身の違いもあるが、
面白かったのは選挙運動の形の変化。
選挙になると決まった時点で、
アメリカのサンダースの運動員とコービンの支持者がつながる。
アメリカからこービンを見ていた人たちが、
サンダースと似た主張をしているから、
協力したいと申し出たらしい。
サンダース陣営から人が来て、
コービン支持者に選挙運動の仕方のレクチャーをした。
イギリスでは戸別訪問は禁止されていない。
日本でいうどぶ板選挙というやつを、
採用したのである。

コービンの支持者は若くて比較的高学歴の人が多いという。
そんな若者が草の根的に、
家々のドアをノックして、いろんな人と語り合う事で、
今困っている事を具体的に聞き、
それをまたマニフェストに反映させる。
こうした活動で、
劇的にコービンのマニフェストは浸透し支持を広げた。
これからも草の根キャンペーンは、
続けていくとコービンは語っている。
人の口で直接話す事は、やはり大事だし確実なんだと思う。
珍しく明るい希望の持てる記事でした。
2017年07月16日 | Comments(0) |

是秀おまけ

戦中戦後の是秀についてのくだりが、
本の終わりの方に出てくる。
仕事がなくなり軍刀の制作に励んだ職人たちもいたが、
是秀は戦争翼賛的なことは一切せず、
淡々と小刀など作りながら過ごした。
玉音放送の日に、土田父がお宅によると、
「やっと終わりましたね」と語ったという。
以下引用
「スプリング鋼材を打ち伸ばし、焼きを入れただけの量産軍刀は刀剣類とは思えませんし、
芸術家たちが表明した協力声明文も詩も、政治スローガンたる四文字熟語となんら変わらぬ退屈さです。中略
非常時ゆえにしかたないと考えてしまえばそれまでですが、より良質なものを作り出してこそ職人、技術者と考える道徳からすれば、その陳腐さは我慢がなりません。
これは思想上の問題ではないのです。」

思想という言葉は、
マルクス思想に傾倒して云々、というような、
ややポリティカルな雰囲気のものが多いように思える。
しかし元々は思想信条の自由というように、
個人が生きていく上での考え方ということでもあり、
そうであるなら、
個人の生き方の美学こそ思想と言えるのではないか。

私は以前読んだ「ベルリンに一人死す」を思い出した。
(これもたまたまみすず書房の本だが、)
実話をもとに書かれた小説である。
ナチスドイツの政治にたった一人で(妻も途中から陰ながら協力)
抵抗運動を始めた人の話である。
彼はヒットラーを批判する短い文章を書いたハガキを、
街のあちらこちらにそっと置いてくるという非合法活動を、
2年にわたって続け、
ついにはゲシュタポの手によって逮捕される。
この人、たまたまなのか、職人である。
真面目な家具職人であった。
彼も、特別な政治思想の持ち主ではない。
運動の類とも無縁であった。
非常に控えめに静かに暮らしていた市民である。
ただ彼の心情として、ナチのやっている事は、
どうしても賛成できないという、理由はそれだけであった。
命の危険をおかしてまで自分の信条を貫く事は、
容易ではないと思うが、彼と彼の妻は、
非常に注意深くことを運んだが、
いつか死ぬことになるだろうという自覚もあり、
それでもなお実に淡々とかつ堂々としていた。

戦争というものはどんなに美化しようが、
どの局面を見ても、美しいと言えるものではない。
自分の美意識にてらして、決して認められないという、
感覚はあって当然ではないか。
政治的な問題ではなく「美」の問題である。
是秀は、
自らの「思想」に忠実であったとも言えるのではないか。
2017年07月14日 | Comments(0) |

「職人の近代」おしまい

この本のタイトルは、「職人の近代」というわけですが、
「職人」と「近代」は、はなから衝突するものです。
手仕事の時代の後に来る、
分業化、機械化、大量生産の時代を近代というのだから、
当たり前という話です。
これは明治以降の急速な近代化の中で、
職人たちはいかに適応し、あるいは脱落して行ったか、
というシビアな話でもあるのでした。
やはり急激な国家の近代化は、
一国民にも強い負荷をかけたのだなぁと思う。

人間社会にとって近代化というのが必然的な流れ、
不可抗力であるという事は、たぶんそうなのだろう。
しかし現代の私は、
それが自然な流れというレベルを超えた、
一部の人間の欲望によって、その経済の構造によって、
極端なまでに加速、徹底させられているという事を、
感じざるをえない。

私はもともと手仕事というものが好きである。
人間は凄い!(他の生物に比べて)と、
いうふうにはほとんど思わない。
特にその優れていると言われる知能に関しては、
制御機能が足りてないという意味で評価できない。
しかし、人間の手の働きに関しては、
これに関してのみ、凄いものと認めている。
生物の体の一器官の能力として、
ここまで複雑なことのできるものがあろうかと思う。
しかしこれも既に過去の栄光であって、
近代に入ってずいぶん経った現在では、
人の手の能力は満遍なく凄まじく低下している。
ただただこれを悲しむものである。

また経験というものの価値。
倦まず弛まず真剣に続けることで蓄積される知見は、
文明の進歩によって生みだされたあれこれによって、
取って代わることが本当に可能なのだろうか。
80歳の職人の持っている知恵や技術は、その蓄積に、
つまりは80年かかっている。
これも塩野さんの本に出てきたものだが、
親父にはどうやってもかなわないという、
後継者の息子の話がいくつかあった。
炭焼き職人の話だが、山のこのエリアで、今年は、
完成品の炭は何表取れるかという見積もり能力。
凄い精度で当てるという。
これは自然を相手にする話だから、
その年によって木の生育ぶりは違うだろうし、
見渡す限りの広範囲を目視で判断する。
それも一年に一度しか経験のチャンスはない。
こんなことができる機械や計算方法は、
あるのだろうか。
これら、一介の庶民である人間が、
生涯をかけて積み重ねてきた経験の価値が、
ほとんど顧みられることがなくなったこと、
それを惜しむ私である。

本の全てを網羅的に紹介したわけではない。
穴大工という人たち、障子の腰板のこと、
カメラと職人の話、など、面白い話もいっぱいあった。
また私が長年考えていた、
仕事とは何かということについても、
改めて考えさせられることになった。
あと、中に出てくる職人用語、鍛冶に関する専門用語が、
ものすごく面白くて気に入った。

著者の土田昇氏は土田刃物店の三代目店主である。
是秀と親交のあった父上(二代目)、
が蓄積したたくさんの資料情報を元に見事にまとめて、
素晴らしい本にしてくださった。
こういう人の話をこういう方向性でこんな語り口で、
本にすることができるという新鮮さがあった。
大変面白かったです。
おしまい。

「職人の近代 道具鍛冶千代鶴是秀の変容」
土田昇著 みすず書房 3700円
2017年07月12日 | Comments(0) |

「職人の近代」6

是秀の作る道具は最高級の品質であり、
最高の技量を持つ職人だけが使いこなすことができる。
そういう使い手である大工から、
軽蔑されかねない装飾を、なぜやるか。
彫刻刀などの道具を通じて知り合った、
芸術家の影響を指摘されている。
例えば朝倉文夫。
朝倉彫塑館には昔行ったことがあるが、
なかなか面白い人である。
改めてまた行ってみたい。
もう一人、お金持ちの道具道楽の、
栗原波月という人がいる。
仕事はそっちのけで道楽に走り、
ついには、目も肥え、知識も、
そこらの玄人に負けないような域に達するというような、
趣味人は洋の東西を問わずたまに出てくる。
この人は自分で鍛冶仕事をやってみて、
是秀をうならせる謎の鉄製品を作って見せたというから、
桁外れである。
お金もない凡人の我々から見れば、
なんというかファンタジックなキャラクターであるが、
こういうお金持ちであるがゆえの、
欲得ずくでない立場でしかやれないこともある。
是秀はこういう自分とは違う領域の人たちの、
作るものや考え方を素直にしずかに学んだ人である。

波月は香木や香合もコレクションしていたという。
私はついこの前、
静嘉堂文庫で香合を見てきたばっかりなので、
本を読みながら、同じ道具とはいえ香合と鑿では、
なんと違うことかと思っていたから、面白いと思った。
香合は必要な機能などはごく単純であるし、
使う人は趣味人であり、実用性より、
意匠の面白さに比重がある。
しかし波月みたいな人は現在も生息しているのだろうか。
こういう人は歴史上に名を残さないのかもしれないが、
実は意外に影響力があるのではないか。
趣味というのは領域やしがらみや利害などの、
境界線を飛び越えるものである。

なかなか終わらなくてすいません。
もうすこしです…
2017年07月12日 | Comments(0) |

「職人の近代」3

この本には職人と芸術家、実用品とアート、
と言うような区別、違いに関わる話がたくさん出てくる。
私も今までこういう事を様々に考えてきただけに、
非常に興味深い。

芸術品とは何か。
(これは、私の考えだけどね。)
誰かの作った表現物が、
見るものに対して美しい、心地よいなどの、
良い感覚を呼び覚ますもの、であろう。
(現代のアートでは強い不快感を起こさせる事で、
人間の根源的な問題に気付かせようというようなものもあるが。)
そのものは、職人の作ったものであろうと、
芸術家の作ったものであろうと、(素人のものであろうと、)
そうした感動をもたらすものはアートと言えるだろう。
それは意匠やデコレーションが施されたものとは限らない。
そのものが単に用を果たすための合理的な構造でのみ、
形作られたものであってもアートとなりうる。
出来たものがどちらも芸術品になりうるにもかかわらず、
その作り手の人間のほうは、
アーティストと職人では、
やや気質において違いがあるように思う。
職人は、多分人を感動させようと思っていない。
完璧な機能性能を目指して真剣に作っている。
ただし仕事として成立させるために、基本的には、
ひとつずつに膨大な手間をかけたりはしない。
必要十分な時間をかけて最高の出来栄えをもたらすという、
合理性をわきまえている。
芸術家と言われる人はおそらくこういう風ではない。

なかなか是秀に到着しない…
続く
2017年07月09日 | Comments(0) |

「職人の近代」2

道具というものは、
何かの用を担って使われるものである。
だから人間の作るものは、
ある意味全て道具と言えなくもない。
ただ道具が使われる仕事の種類は、
多様であり、それによって道具の性格も大きく変わるだろう。

大工道具の人生がシビアなのは、
次にこれを買って使う人が、
また職人であるという事だろう。
職人がこさえた鑿は大工さんなどの職人の手に渡る。
職人は道具一つで、
作業能率も体の疲れももちろん出来栄えも、
うんと違う事を知っているから、
その評価は現実的で厳しいものとならざるを得ない。

以前読んで大変面白く、このブログでも紹介した本に、
塩野米松の「失われた手仕事の思想」がある。
この本には様々な職人とその手仕事が出てくるが、
板材を挽く職人が出てきた。
長い一本の丸太を、縦に薄く切って、
何枚もの長い板材を作る。
鋸一本で一人で挽くのである。
この人は仕事中にも、鋸の目立てをする。
時間をかけて道具を研ぐのである。
これをしないと、仕事がはかどらないので、
手入れに時間をかける事は逆に能率を上げることになる。
電動の工具では熱を持つので、
板の表面が美しくならない、また木屑がたくさん出て、
一本から取れる板の枚数が減るとも言っていた。
刃物は力がかかるので本体が消耗し摩滅する。
だから使いながら研ぎ続ける必要がある。
買ってきたまんまの姿でいる事はできない。
これも大工道具の人生の宿命である。
2017年07月08日 | Comments(0) |

「職人の近代」

少し前みすずで買った本を読むのを忘れていた。
そうそうあれがあったじゃないかと、
読み出したのだが、久々に、
あっけにとられてしまった。
こんな本読んだことないと思った。

何か知らないことを知るとか、
別の考え方に出会うとか、
本を読むということは、そういうことだから、
何かしらの発見はあるわけだが、
今回のは特別な感じ。
理由が複合的で今のところまだはっきりとはわからない。

千代鶴是秀という道具鍛冶のことを書いています。
明治から昭和にかけた生きた、大工道具の名工です。
著者は、土田昇という人で、
大工道具を扱う道具屋にして、道具の研究者でもあります。
プロの文筆家ではないわけですが、
この人の文体の独特な美しさ。
饒舌の対極にあるケレンの無い静かな語りです。
口絵の鑿や鉋などの道具類の写真の美しさとそっくり、
静謐というやつです。
是秀という人もきっとそういう人だったのでしょう。
どう考えてもマイナーな分野の本ですが、
内容は深くて刺激的です。

これは、続く、です。

2017年07月06日 | Comments(0) |

「博物誌」

ルナールの「博物誌」を読んでいる。
訳者は岸田國士である。
ルナールというのはあの「にんじん」の作者である。
最近はあまり有名じゃないのかもしれないが、
にんじんはメロンが嫌いだろ?という、
恐ろしい台詞は忘れられない。

この博物誌は身近な動物一つづつに、
ごく短い文章が付いたもので、
フランスじゃ子どものお勉強の、
書き取りなどのテキストになるという。
読んでいて気が利いていて文章も面白く、
なるほどちょうどいかもと思う。
訳者が書いているように、我国の俳文学に、
通じる簡潔さがあるかもしれない。

蝙蝠の章の一部を引いてみよう。
「毎日使っているうちに夜もだんだん摺り切れて来る。
中略
どんなところでも、夜の帷の裾の入り込まないところはない。
そして茨に引掛かっては破れ、寒さに会っては裂け、
泥に汚れては傷む。で、毎朝、夜の帷が引き上げられる度に、
襤褸っきれがちぎれて落ちて、あっちこっちに引掛かる。
こうして蝙蝠は生まれて来る。」
こういう感じ。

白鳥では、泉水の上を白い橇のように滑る。
という表現があった。
私の好きな川柳の、白鳥がアイロンのように滑る、
というのを思い出した。

挿絵はこれも有名なボナールである。
うまい。

新潮文庫
2017年07月05日 | Comments(0) |
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