男性の皆さん2

2017年に発表された論文は、
1981年から2013年までの30年に発表された、
精子の数に関する185の研究の解析である。
北米、欧州、豪州に住む男性が対象。
調査対象は条件なしに選別された42935人。
報告では、精子は毎年1.4%づつ減り続け、
52.4%減少している。
ヨーロッパで最も少ないデンマークの男性の、
20%以上は既に生殖能力がないと。

日本はどうか。
2006年の日欧の国際共同研究に参加した、
聖マリアンナの岩本教授の報告によると、
フィンランド人の三分の二、
最も少ないデンマークと、
ほぼ同程度であった。
今と同じペースで減少すれば半世紀後には、
日本では子供はほとんど生まれなくなる、という話は、
どうも絵空事ではないようである。
2016年の環境省の発表によると、
日本人の血液、尿から、調査した全員から、
プラスチック可塑剤フタル酸エステル類、
有機フッ素化合物など、環境ホルモンが検出されている。
またEUでは「抗男性ホルモン作用」を持つ農薬、
を危険とみなし禁止したが、
日本では大量に使われている。
「スミチオン」の商品名でわかる通り、
住友化学の商品である。

住友化学の幹部も農水省のトップも、
企業寄りと言われる学者やジャーナリストも、
多分ほとんどが男性であるはずである。
私は心から、
男の考えることは謎だなぁと思う。

2018年02月11日 | Comments(0) |

男性の皆さんへ

日本の国会議員の中の女性の割合は9%、
日本企業の中の女性社長の割合は7%くらい、
な、らしいから、
世界的に見ても非常に女性の社会進出が、
実現していない国であると言える。
女性にも男性にも、
賢い人も愚か者もいるのは当然だが、
自分の属する集団に有利なように、
行動する人間が残念ながら多いわけだから、
やはりバランスが悪いのは良くないだろう。
この現状から見て、多くの組織はトップが男性だから、
男性がいろいろなことを主導的に決めている、
というのは確実だろう。
ここまでは枕である。

昨日「世界」を読んでいたら、
恐ろしい記事があった。
ヒトは滅びるだろうと私に予想されているわけだが、
ヒトの中でも男性が先に滅び始めるらしく、
それは既にかなりやばい感じで進んでいる。
(特に先陣を切ってるのが日本…)
タイトルは 「空騒ぎではなかった環境ホルモン」
水野令子氏の記事である。
1992年に「過去50年で精子の数が半減」
というBBCのニュースがきっかけになり、
多くの人が危機感を持ち、
日本でもその原因とされる環境ホルモンについて、
野生生物におけるオスのメス化などが、
大きく報道された。
しかし1998年に「新潮」に「環境ホルモン空騒ぎ」
と題する記事が載り、
産業界寄りの学者ジャーナリストによる、
鎮静化の動きは強まり、
研究費がつかないために研究も続かず、
日本ではそれ以降パタリと消えてしまった。
しかし世界ではその後も研究は続けられ、
様々なデータが出てきている。
精子の数の他には、
前立腺、乳がんなどがホルモンに関わるガンの増加、
新生児、大人の生殖器の障害は増える一方である。
日本でも男児の女性化を示す尿道下裂の発症率は、
1972から2008年までに5倍に増え、
死産児に占める男児の数は女児の2倍を超えている。

続く
2018年02月10日 | Comments(0) |

「百年のあとさき」おしまい

米澤弘安についてまたちょっと。
どうもこの人が特別だったようには思えないが、
とにかく好奇心旺盛でやる気がある。
様々なお寺の講話を聞きに行く。
宗派は問わないので、信仰とも少し違う。
だってキリスト教の教会まで行ってるし。
アインシュタインの相対性理論についての映画が、
かかった時は、専門家の講演付きで見ている。
全くアインシュタインまで出てくるとは、
恐れ入った。

また芸能関係では、祭りやイベントには、
必ず浄瑠璃、漫才、手踊りなど、
素人プロ入り乱れての公演がひっきりなしにあり、
仲間内で楽しむものの含め、
(家にも楽器がいろいろあったらしいし、)
弟の清二はヴァイオリンまで演奏する。
(この楽器はレンタルだったらしい)
日常の隅々に音楽や踊りがある。
これも恐れ入るね。

ま、人間の頭や感性も使わなければ劣化する。
使えばどんどん磨きがかかるということだろう。
寒さや雪や暗い夜道も、
物ともせずに季節の巡りに合わせ、
人付き合いを欠かさず、お楽しみも欠かさず、
その充実した日常の有様に、圧倒された。
勝負にならんね。

2013年 発行 北國新聞社
砺波和年著

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写真左は弟清二
2018年02月08日 | Comments(0) |

米澤弘安日記の続き

昔の本を読むとよく感じることですが、
時間に関する感覚が違って、
実にのびのびしているのが羨ましい。
今も各地に残る神事、お祭りなどで、
夜を徹して行われるものは多いです。
神様が降りてくるにが夜明け前で、
とかいう事情もあるでしょうか。
古い時代ほど夜中の時間帯が、
重要な意味を持ち生きているように思えます。

この本に婚礼のことが出てきます。
自宅で親族が集まっての、小規模なものですが、
お祝いの鯛が届いて、お嫁さんのお荷物が届いて、
お嫁さん本人が到着するのは、
夜の9時ごろ。
それから三々九度の盃があって、
宴会が始まるのです。
ご馳走とお酒に、皆さんお得意の、
謡、加賀万歳、まさに飲めや歌えで、
朝まで続くこともあります。
婚礼でなくとも、お茶事や宴会や、
踊りの見物、お芝居、そういうものも、
今の感覚からすると、
すごい長時間のことが多いように思います。

この前読んだ無銭経済宣言に出てきた、
「お金の物語」に我々はすっかり支配されていますが、
ものの値段も労働の対価にしても、
お金と時間は切っても切れない関係です。
お金の物語に時間というものは、
がっちり組み込まれています。
われわれは、
お金と時間に支配されていると言えるかもしれない。
私もそうですが、あっ、もうこんな時間!
と時間がかかったことに気がつくと、
急に腹ただしくなったりします。
用を済ませることが目的で、かかる時間とは、
本来別の話のはずです。
ところが時間が絡むと、
急に無駄だとか合理的じゃないとか、
もっと簡単にすべきだとかいう話が出てくる。

以前も書いたかもしれませんが、
宮本常一の奄美の話で、
おばあさんが今日は月が明るくて気持ちがいいからと、
縁側に機を移動させて、
月明かりで機織りをする話が出てきます。
これが非常に印象に残った。
機織りはおばあさんの仕事だけど、
その時のおばあさんは、お金でも時間でもなく、
気持ちいいからという理由で、
夜になっても織り続けるのです。
あくまでもおばあさんが主人であり、
本当に清々しい自由さを感じました。

この本に出てくる人たちも、
実際は辛いことや厳しい事もあったに違いないけれど、
少なくとも時間の奴隷ではなさそうです。
堂々と自分の24時間を生きているように思えます。
現在の余裕のない我々の生活が、
本当にケチくさい貧相なものに見えてきます。
2018年02月04日 | Comments(2) |

「100年のあとさき、米澤弘安日記の金沢」

姉の友人のご主人である砺波和年氏の書かれた、
2013年出版の「百年のあとさき」を読んでいる。
米澤弘安という加賀象嵌の職人の日記から、
当時の暮らしのいろいろを読み解いている本である。
弘安は1887年明治20年に生まれ、1972年昭和47年没
日記は長く続けられたものであるが、
この本では明治から大正の部分を扱っている。

世の中には強い郷土愛を持つ人もいれば、
故郷を逃げ出したいという人もいて、
私はどちらかというと後者である。
だから故郷に対する気持ちはあっさりしたものである。
それでもいい歳になってから客観的に、
あの町もま面白いかなと思うようにはなった。

この本を読んでいると当時の庶民、
職人の普段の生活にものすごい量の、
文化的知的な刺激が満ちているのに驚く。
どこの国かと思う。
これでは現代人が叶うわけがない。
知的水準の劣化は当然だろう。

この日記は弘安氏のアフター5の記録でもある。
昼間はちやんと仕事をして、
そのあとの時間の使い方がすごい。
謡の稽古、お茶の稽古、図書館通い、映画館通い。
高等小学校をでてからは私塾に通い、
主に数学国語の勉強をする。
とにかく仕事を終えてからの夜、様々な事をする。
金沢の図書館は大正12年にできたが、
何と当時、夜も利用できた!
102席の大閲覧室、児童、婦人用の部屋も。
彼は1ヶ月に10日以上通っている。
謡は金沢では本当に裾野が広かったようで、
身につけていなければ恥ずかしいという程のもの。
弘安は狂言の小舞もやっていたようだが、
謡のほかに、
小鼓、大鼓、笛などをやる人も近所にはたくさんいた。

このほかに、一般的な家の行事がある。
1月年賀回礼、2月かきもち編み、節分、4月ひな祭り、餅草摘み、
5月春祭り、7月墓参り、盆の挨拶、8月虫干し、四万六千日、
9月秋祭り、11月恵比寿講、12月鞴祭り、雪覆い。
(12月のふいご祭りは家業で使うふいごに感謝する行事である。)
また季節の行事、
1月売り初め、4月蓮如忌、5月此花踊り、
6月兼六園杜若、7月金石海水浴、両川夜店見物、
8月別院お花揃い、9月近江町絵行灯、10月キノコとり、
11月菊花見物
こういう行楽もちゃんと繰り出す。
お稽古事にはそれに関する行事もあるわけで、
もう大忙しだろう。
何という盛りだくさんなお楽しみであろう。
豊かな生活とはこういうものだなぁ。

戦争があったりで高度成長期を挟んで、
こうした行事は多くが消えたが(たぶん日本中で)
金沢の恐るべきところは、
それでも幾らかは生き残っているところである。
姉が狂言をやっていた時は、
神社などで小舞を奉納する行事があったが、
いつか見た金石の神社の奉納のチラシに、
第三百何十回とかという言葉があって、
あっけにとられた。
300年以上毎年やっているということである。
2018年02月03日 | Comments(0) |

適者生存

日本人について同調圧力とか、村社会とか、
農耕民族だからとか、何かにつけていろいろ言われるが、
実はこういうのはみんな猿の群れにすでにある。
残念、日本人の専売特許でもなんでもない。笑
猿も郷に入っては郷に従っちゃうのである。
「適者生存」という進化の掟に沿って、
そうしてきたものが生き延びてきたのは事実のようだ。
個性が大事とか言うけど、
親が食べてるものと違うものを、
食べてみようかなと思う小猿は、
死ぬ確率が高くなる訳だ。
イカれたやつは排除されて当然なんだろう。
とにかくヒトの良い面も悪い点も、
間違いなく猿の中にほぼ同様のものがある。
一にも二にもと言うか、間違いなく思うのは、
あー、我々は猿だったんだねー、てことであった。

また認知について考える時、
我々はヒトの認知の仕方を基準に考える。
ま、さほど賢くないから結局はそれしかできない訳だ。
しかし動物たちにはヒトと全く違ったやり方で、
知ったり情報処理したりするものがいる。
ざっくり言って脳の大きさは賢さに関係するが、
例えば象は人間よりずっと大きな脳を持っている。
しかし脳の部分のバランスはヒトと全く違うので、
その機能の仕方はよくわかっていない。
そして鼻、象の鼻の役割は多彩である。
驚くほど器用で、繊細でかつ強い。
わらしべ一本つまみ上げられるし、
うるさいカバをひっくり返したりもできるらしい!
認知にはそれに先立つ情報収集が欠かせない。
彼らは鼻で多くのことを知る。
象の鼻的世界とはいかなる印象なのか。
想象できない。
いかんせん大きすぎて象の研究はやりにくいため、
わかっていないことが多いらしい。
象さん!死なないで!
(私はハンコなんていらないよ。)
無脊椎動物の中で、
賢いので有名な蛸に至ってはさらにユニーク。
足の吸盤のところに神経伝達物質を持っている。
蛸はまさに脚で、
ぐんにゃりと考え素早く判断しているのだ。
いやはやみんなたちの環世界の数だけ、
多様な賢さがある。
本当に面白い。
2018年01月29日 | Comments(0) |

「共感の時代へ」

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いか」
を読んでいて、フランス・ドゥ・ヴァールが、
「共感の時代へ」の著者でもあることを知った。
この本は読んでいなかったが、
存在は知っていて面白そうだと思っていた。
先日図書館でこれも取り寄せてもらった。
共感ということを軸に主に猿たちの生態を観察し、
現在のヒトの社会に警告する、
かなり社会学的な本でもある。

内容としては新しい本にも共通する例が出てくるが、
猿たちは公平をよしとする。
同じ課題をこなした場合の報酬が、
不公平であると怒る。
オマキザルはきゅうりと干しぶどうでは、
干しぶどうのほうが好き。
きゅうりも嫌いというほどではない。
両方にきゅうりが与えられると、
ありがたく頂くのに、
片方が干しぶどうであることに気がつくと、
怒って突っ返すのである。
チンパンジーでは不公平の場合、
自分が得するケースでも異議を唱える。
群れ全体に大きなスイカなどのおやつを与えると、
最初こそ奪い合いの騒ぎになるが、
結局みんなでわけで、全員が食べることになる。
こういう行動はどうしてできてきたかと言えば、
やはりそうする事によって、
生き延びてきたからだろう。
それが最も正しい選択であったのだ。
だから逆に言うと、
現在のような不平等な社会をよしとするなら、
ヒトは滅びるだろうということ。
滅びるに違いない。
2018年01月29日 | Comments(0) |

動物の賢さ、続き

動物には現在の感覚しかない、
みたいなことを言う人もいるが、
そんなわけないじゃんと、著者は言う。
ほんとそう、私もそう思う。
だって現在は一瞬で、
過去から未来に続く道筋のほんの一部なんだから。

例えば野生の環境にいるチンパンジーは、
ジャングルの中をブラブラあてずっぽうに歩いて、
たまたま見つけた木の実なんかを食べていると思う?
そんなに世の中甘いもんじゃないよね。
そこらじゅうに美味しいものがある豊かな森ばかりではない。
彼らはかつて食べた、あるいは前に見つけた、
そのイチジクの木を目指して食べに行く。
イチジクは美味しくて人気の果物だから、
他の動物が食べちゃう前に行く必要があるので、
行く日は早めにベットから出て出発する。
その木が遠ければうんと早く、
割に近ければ、ちょっと早くと言うように、
距離とかかる時間をちゃんと考慮に入れて、
ほぼ同じ時間に到着するように予定を立てるらしい。
乗り換え案内も、時計も、地図もないのに!
ジャングルの樹の上に住んでいる彼らには、
超立体的な地図感覚があるんだろう。
そしてその記憶力。
角の銀行が引越ししただけで、
道に迷う私とは出来が違う。

生物分野の研究者は、
女性が意外に多い印象がある。
こういうフィールドでの研究は、
体力気力がたくさん必要だろう。
厳しい気象条件や肉体的ハンディーを、
物ともせずに頑張っている人たちがいる。
かっこいい、頑張ってほしい。
2018年01月15日 | Comments(0) |

「すべての見えない光」2

目の見えない娘を連れて、
パパがやっとの思いでたどり着いたのが、
サン・マロという場所です。
ここはブルターニュ地方、うさぎの出身地でもあります。
海を隔てて向こうがイギリス、
住民はフランス人というよりは、
マロの人間で、ブリトンであると自覚している。
ここには大叔父さんが住んでいる。
この人は第一次大戦の時精神に打撃を受け、
それ以来半分以上引きこもりの生活をしている。
このおじさんも博物学者で音楽好きで、
ラジオにやけに詳しい、かっこいい人である。
おじさんの精神と日常を支えているのが、
ずっと前からこの家に住み込んでいる、
マネッタ夫人というお手伝いさんである。

真夜中にボロボロになってたどり着いた二人を、
迎え入れ、素敵なオムレツを食べさせる。
この人がねぇ、とても素晴らしい。
どんな状況になっても精一杯、自分のできることを、
やり続ける勇敢なおばさんである。
片目の一癖ある宿無しのおじさんに、
食事を運び続け、桃の季節には箱買いして、
シロップで煮て保存食にする。
どこの国にもいるだろう、
ごくありふれた庶民の一人である。
愛情と知恵と勇気、そういうものでできている人。
ほんの半径何十メートルの範囲にしか影響力はないけど、
マネッタ夫人のおかげで、
たぶんみんなが少しづつ助かっている。
彼女はね、まさに「贈与の人」なの。
それでいてちょっと男っぽくてクール。
優しいくせに甘ったるい感じがない。
愛煙家。

この人のことを思うと、
感動しつつ、勇気も湧いてくる。
小説の中の人だけど、お手本やなぁと思う。
2017年12月27日 | Comments(0) |

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いか」3

人間凄い!の人たちは、
人だけが言葉を持っているという。
確かにそうかもしれないが、
言葉がなければ考えたりコミュケーションをとったりは、
不可能なのか。
著者は言語と認知は別物という立場であり、
私はこの考えに納得できる。
人間凄い!派が発狂する例がいっぱい出てくる。
よく犬は飼い主の心の状態を感じとるというし、
それは実感としてわかるが、
どこまで何がわかるのか。
この著者は霊長類たちといつもいっしょにいるわけだが、
自分の心の奥まで見透かされているという感覚を、
常に持つという。
一つの例。
一匹だけ窓のある部屋、その他は窓のない部屋にいる時に、
バナナと蛇のおもちゃを持って外に出る。
そしてそれぞれを隠す。
一匹は窓からずっと見ている。
その後全員を外に出すと、
もうその段階でみんなが、
彼だけが自分の知らない何かを知っている、と理解している。
そして一つはいいもの、
もう一つは悪いもののありかであることも。
こういうことが言葉を介在せずに、
瞬時に理解される。
ここでは言葉がない分、嘘をつくことが非常に難しい。
著者は共感する能力という風にも言うが、
相手の状態をよく知ることは、
危険を察知したり、子育てにおいても非常に重要で、
彼らにとってなくてはならない能力なのである。

我々はもともと少なかったこういう能力を失いつつある。
現在コミュニティ障害と気楽によく使うが、
共感力の弱い人が、社会で孤立し、
ネット上の炎上、誹謗中傷などに関わっている話も、
つい最近読んだ。
猿たちはあまりにも感覚が鋭いので、
テストをするのも非常に難しい。
鈍感な人間が思いつかないようなところで、
大きな影響が出てしまう。
要するに動物の賢さがわかるほど、
人間は賢くないのである。
2017年12月27日 | Comments(0) |

動物の賢さに戻る

「すべての見えない光」は読み終えたが、
まだ考え続けている。
知識を持っていることと、
本当に知っていることの違いは何だろうか。

「動物の賢さ、」の方に戻ったが、
いやはや延々と、人間は唯一無二の特別な存在である、
と主張する者達のめちゃくちゃな、
反撃が続いていて、ややうんざりする。
著者はこの傾向は欧米では当分続くと言っている。
欧米とことさら書くのは、
日本の存在が念頭にあるからである。
著者は霊長類の研究者で、日本の学者との交流もある。
日本人の研究者もまた擬人的すぎるという欧米からの攻撃を、
長年受けてきたことを知っているのである。

人間は実際かなり特殊な動物ではある。
しかし他のすべてとの間に高い壁はないし、
なだらかに繋がる進化の延長上にある。
ただそれだけのことが受け入れられない人たちが、
こんなにもいるのかと、げっそりする。

人間は最も優秀な特別な存在であるという考えは、
ゲルマン民族は最も優秀な特別な存在である、
というのと全く同一線上にある。
日本人すごい!もまた、同様である。
2017年12月24日 | Comments(0) |

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」2

人間が一番偉い、もしくは特別な存在、
という物語はキリスト教と深く結びついている。
これは学究の世界にも深く染み込んでいる。
たまに生物に関する本を読むだけだが、
その私でさえ、何度か目にしたのが、
アカデミズムの場面で、
他の動物に擬人的な表現を使った人を、
激しく糾弾する人がいるというものです。
現在でも人間が猿から進化したということを認めない人が、
沢山いるアメリカですが、
そう言う批判者の、マメさ執拗さは、
日本の歴史修正主義のネトウヨによく似ています。
これは日本にも波及していて、
奇人の本で読んだのですが、
カリュウドバチ(狩人蜂)という名前が擬人的であるというので、
カリバチ(狩り蜂)に変わったということです。
(奇人は俺は狩人蜂を使うぜと言っていて、
私の心を鷲掴みにしたのですが。)
そんなんで、押されてんじゃないよ、
誰か「何言ってんの、バカじゃないのお前ら!」
と叱ってやれよ、と私はずっと思っていたのです。

そして昨日、ついに私は知ったのです。
「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」の
著者フランス・ドゥ・ヴァールこそは、
「何言ってんの、バカじゃないのお前ら!」と、
大声で叫んでいる人だったのです。
私はビックリするやら嬉しいやらで、
のけぞり姿勢を解除することが、
しばらくできませんでした。
2017年11月30日 | Comments(0) |

「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」さわり

この本もまた私の待っていた本でした。
今、私に面白い本を教えてくれる神様がいる感じ。

進化認知学という新しい分野の本である。
これまで人間を頂点とする、直線的な、
賢さの段階を我々は信じてきたようだが、
実はそれぞれの動物は、自分たちの生き方に即した、
賢さ(認知の仕組み)を持っている。
それを指すウンヴェルト(環世界)という言葉があるそうだ。

ハイイロホシガラスは秋に、
何平方キロメートルもの範囲の何百という場所に、
松の実を二万個以上!蓄え、冬と春の間に、
その大半を回収するという。
私は賢いと言われる人間の中で、そうでもない方だから、
チャレンジするつもりはないが、
方向音痴と記憶力の悪さの二刀流だから、
こういうことはまず不可能である。
うーん、凄いなぁと心から尊敬する。
ホシガラスって!
この本を読むと、人間がバカなせいで、
テストの仕方が正しくないせいで、
頭が悪いと決めつけられていた動物が、
いっぱい出てくる。
私のせいではないが、なんか申し訳ない気分になる。
2017年11月30日 | Comments(0) |

「無銭経済宣言」8

実践編に入ると、
人間が暮らしていくために必要なあれこれを、
様々な分野の無銭アイデァと参考になる意見、
本などが紹介されている。
以前世界でも記事になっていたし、
チャヴでもこの問題が語られていたが、
イギリスに関して言えば全土の実に70%が、
ごく少数の金持ちに所有されていて、
植物を育てるにしろ、住むにしろ、
土地の問題は非常に高いハードルになっている。

以前、沖縄の久高島の本を読んで、
土地が共有であるとはこういう事かと驚いたわけだが、
土地が私有されているということのほうが、
実はおかしな事ではある。
太陽の光や熱、空気と同じように、
地球の表面はみんなのものではないのか。
この本では法律を無視するアイデアも出てくる。
この本の終わりには、
「多くの法律は不当にできており、
不当な法律に従うのは、
そのせいで生活を破壊される存在に対する不当行為である。
自らの内にある法律に従おうじゃないか」
とはっきりと書かれている。
これは日本では決してかかれない文章である。
右でも左でも悪い人もいい人も、
声を揃えてルールを守ろうと言うのが現在の日本。
守るに値するルールかは検討しない。

ルールを守るのが大好きな人たちには、
そのうち金メダルでも届くのではないか。
1パーセンの方の孫請けの、きちんとした身なりの人が、
「我々のルールを守ってくれて本当にありがとう、
助かります!」とにこにこしながら、
鴨の形の金メッキのメダルを首にかけてくれるだろう。

いろいろ長く書いてきたので、
ここらで終わりにする。
2017年11月28日 | Comments(0) |

赤ちゃんの力

赤ちゃんといえば、「チャヴ」では、
シングルマザーがすごく叩かれるわけです。
家庭が崩壊していて躾が出来ていない、
性道徳が話にならない、みたいな。
髪振り乱したシングルマザーが、
チャヴの典型として出てきて、
テレビなどでも軽蔑の対象になる。
これ本当に理想の家庭像みたいなもの、
いつの事かわからん伝統的な家庭とかを、
押し付けるとことか、あれにそっくりだなぁと思う。
イギリスにも、政治家や国教会の聖職者や、
大企業の経営者などが名前を連ねている、
「イギリス会議」って奴が、絶対あるだろ、
と思ってしまう。

チャヴの著者は若くして子供を持つ事は、
必ずしも悪い事ではないと書いている。
イギリスの労働者階級の若者はとにかく仕事がない。
だから収入もないしそんな境遇では、
夢の持ちようもない。
そう言う状態でも赤ちゃんが生まれると、
子どもを守るために頑張ろうという気持ちが起きる。
赤ちゃんはやる気にさせる力を持っているのだ!
条件など何もつけず、赤ちゃんを持つ人たちを、
サポートする仕組みを作れば良い。
それだけなのに、それがどうしてもやりたくなくて、
四人産んだら表彰とか言い出すっていうね。
山東昭子はもちろん日本会議の人です。
2017年11月27日 | Comments(0) |

前の記事の訂正

著者はバクテリアの権威で小児科医のご主人ではあるが、
共著者はその奥さんでは無く、
教え子でもある腸内細菌と免疫が専門の研究者でありました。
訂正します。
2017年11月27日 | Comments(0) |

「無銭経済宣言」7

著者が言うように、
社会的受容、承認欲求と言うものは、
なかなかに根の深いものである。
私の予想だが、ヒトが一人では生きられない、
集団に受け入れられて始めて、
生きていけるというタイプのサルである事と、
関係があるのではないか。
実際、自分がクソだと思う社会にすら、
受け入れられたいと思う様子は、
馬鹿らしいというより、いたわしい感じを受ける。
外側にまとう物語のように簡単に脱ぎ捨てる事ができない。
(それも随分深くまで染み込んでいるにしても。)
自分自身の事を考えても、
完全に捨てるのは不可能なのかもしれない。

昨日たまたまビッグイシューで、
うつの話を読んだが、
鬱や不登校やいじめ自殺などは、
他に多くの要因があると思うが、
この社会的受容の関わる問題だろう。
混ぜてほしいけどうまく混ざれない。
混ざれない人を攻撃する人も、
実はちゃんと混ざれていない人かもしれないし、
(混ざれない人を攻撃する事で、
主流派にアピールする必要を感じるほどに、
自分の混ざり具合に不完全さを感じている?)
現在主流の物語に適応できない人は、
意外に多いのかもしれない。
主流の物語それ自体に疑問を呈するのではなく、
自分の方を攻撃してしまうと言うね。
主流の物語が代われば受容の困難も減るだろう。

また、最近風当たりが強いみたいな赤ちゃんであるが、
赤ちゃん自身は生産者労働者たりえないから、
お金の物語の行きすぎた社会では、
老人、病人、障害者同様に疎んじられるのであろう。
そのお世話にかかっている若い親たちもひっくるめて。
実に嘆かわしい事であるが、
それらのものたちの偉大さは見向きもされない。
自分自身の今を生きられず、お金の物語の、
構成員である事しか誇るべきものがない、
そういう追い詰められた人が多いのかも…
お金の物語の犠牲者多すぎじゃないかな。
2017年11月26日 | Comments(0) |

「無銭経済宣言」6

カネ無し生活、簡素な生活に移行しよう、
というところまで行った人から聞かれる心配事で、
最も多いのは、
友達、家族、地域の反応に関するものだそうだ。
「なんだかんだ言っても結局、お金を持たなければ、
貧しいだとか人生に失敗しただとかの、
烙印を押されてしまう」
「いやはや、
社会的受容がいかに心中深くうめこまれているかには、
恐れ入る。」
これは本当にそうだなぁと実感が湧きまくる。

著者は随分前から無銭経済について考えて行動してきた人で、
私の思いつくような事は既に考え尽くし、
多くの実例なり先行する著作なども読み、
その豪快な性格も相まって、
多くの困難を乗り越えてきたのだと想像する。
その彼が、この本の後の方で、
「イカれていると思われそう」で書こうかどうしようかと悩んだ、
「全く科学的根拠のない」自身の体験を書いている。
イカれてると思われたくないと言うのは、
イカれていないと思われたいと言う社会的受容の、
欲求であり、科学的根拠にこだわるのは、
人間が一番偉いという物語へのこだわりである。
彼でもこういう風に思うのかと、びっくりした。

科学的根拠とは、
一番偉い人間のその中の最も優秀な頭脳が、
導き出した知見が科学であり、それこそが正しい、
科学の裏付けのないものは間違っているという、
まさに人間が一番偉い物語そのものである。
科学が素晴らしい英知の結晶である事に異存はないが、
あくまでも現時点のものであり、完璧とは言えない。
科学の歴史は修正と上書きの連続である事は、
科学者自身も良く知っている事であろう。
科学が解明できていない分野、
調べてみようと思い損ねた分野は、
広大であるし、そこで見つかる事実が、
理由がわからないからといって、
取るに足らないものであると言い切る事はできない。

ちょっと前なら麹ともの会の会長などは、
やや魔女の疑い、というかどで、
火あぶりにされていたかもしれんわけで、
私は科学的根拠を振り回す人が、
結構おそろしいのである。

話は最初に戻るが、そういう相談者に、
彼が答えていうのは、「勇気」
必要なのは勇気だそうだ!
振り絞っていこうじゃないか。
2017年11月26日 | Comments(0) |

「無銭経済宣言」5

地球にともに依存しあって生きる仲間の、
一体感を本では「ワンネス」と表現している。
ワンネスの概念を共有するものの間では、
ものの貸し借りも普通にできる助け合いが、
生まれる。

このワンネスが気に入らないのが、経済さん達である。
彼らにとっては、
同じものでもみんなが一人づつ買うのが望ましい。
なんならモデルチェンジのたびに、
次々と買ってもいいんだよと。
譲り合ったり貸し借りするのをやめさせるために、
人に貸して壊されたり取られたらどうすんの、
使いたければ自分で買えばいいんだし、
買えないような、他人に頼るような貧乏なやつは、
情けない人生の失敗者だよと、
たくさんものを持っている人が偉いんだと、
囁き続ける。
他人に頼るような事は、
恥ずべき落伍者のやる事であるという。
こうして人は貸そうかと言うのも貸してというのも、
なんだか憚られ、一人一人が孤立していく。
いわゆる自己責任論というやつ。

著者が昔から馬鹿げていると思っていた例として、
芝刈り機が出てくる。
猫の額程の(良くて+ほっぺ2)庭を手入れするために、
芝を刈り揃えるという目的に特化した機械を、
各家庭が買う。
道行く人からも見える庭の芝生を綺麗に整える事は、
自分はだらしない奴でも無く貧乏人でもないですよ、
人生の失敗者ではありません、
というアピールにもなるのである。
2017年11月25日 | Comments(0) |

「無銭経済宣言」4

我々がとらわれているものに、
お金が大事という物語ともう一つ、
人間が一番偉いという物語もあります。
これらは繋がっている。

我々が時間も体力もすっかりみんな捧げて、
お金を貰うにはこうするしかないと、
ボロボロになりつつ思い込んでいる状態に対して、
今生きている自分の心や体が楽しむような生き方は、
できないのか、という問いがある訳です。
そこで、じゃあ自分とは何か。
我々の体には自身の細胞の数より多くの、
別の生物、細菌が住んでいる。
自分というのは境界の曖昧な集合体なのである。
そのうえ命を繋ぐために、
きれいな水や植物を産む大地などに依存している。
それら無しに生きられないような水源や耕地を、
大事にしないで自分を大事にすることはできない。
そしてその繋がり方は、
他の多くの生物と全く同じであり、
我々は一つの繋がった仲間であるということ。
そう言う事実を鑑みれば、
人間が一番偉い、人間様のために、
他の生き物は死に絶えて良い、
と言えるのかというね。
2017年11月25日 | Comments(0) |
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