鹿踊りのはじまり

ししおどり

金曜日の夜行バスでいって土曜日の夜行バスで帰るという
ハードかつあわただしいボランティアから娘が帰って来た。
被災地陸前高田でなにごとかやってきたらしいが
今寝ているので詳細はまだ聞いてない。

これはお土産。しおりには賢治のことば。

 海だべがと
 おらおもたれば
 やっぱり光る山だたぢゃい
 ホウ髪毛風吹けば
 鹿踊りだぢやい
          宮澤賢治

〈太鼓のリズムに乗せて八人一組で演ずる一糸乱れぬ勇壮な踊り〉
鹿踊りを一度みて見たいと思う。

2011年08月28日 | Comments(0) | 宮澤賢治

「宮澤賢治の青春」

このたび文庫化された賢治本をよんで、衝撃をうける。

副題に「"ただ一人の友"保坂嘉内をめぐって」とあるように
賢治の保坂に宛てた72通の手紙をとおして
賢治作品の新しい読み方を示した本である。
平成6年に世に出たものであるらしい。

孤独や悲しみのぼんやりした輪郭が、
その捉えきれなさが賢治の魅力であるかとも思っていたが
この本を読んで、それらがくっきりと目の前に見えた。

「小岩井農場」を読んで涙がこぼれた。
こんなに苦しい詩であったのかと…

なにより、迷い続け苦しみ続ける賢治に賛嘆する。
そんな中で膨大な作品がうまれたのだ。
とりあえずの答をだして、苦しみから逃れ
先に行く事をよしとしない。
(実際それを先とはいわんだろう)

著者の論理は明快で、読後感はさわやかですらある。
今までだれが隠してたんだ?この本を。

「宮澤賢治の青春」
菅原千恵子  角川文庫
2011年06月20日 | Comments(0) | 宮澤賢治

新聞でみつけた

 なんと濃い菫の色だ
 こびる提げではだげさ
 行った人も見だべが

   柏崎駿二「百たびの雪」柊書房

賢治を思い出したというよりは、
賢治のことを考えながらブログを書いていた時の
自分をおもいだしました。

作者は岩手で書き続けているかただそうです。

こびるはお昼のお弁当のことです。
2011年01月18日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典13〈あとがき〉

表紙

装丁は笠井亞子さんです。

発表の機会のない絵を見てもらうために始めたブログで
当初から字はなるべく書かないつもりだったのに
なんかながなが書いてすいません。

「あのぶんしゃうは、ずいぶん下手だべ」
(馬車別當の声で)

今後はまたあほらしい感じで続けていきますので
これにこりずに「やま」たまにのぞいてください。

この本は14700円もしちゃうので、
ぜひ買ってくださいとは言えませんが、
興味のある方にはおもしろいと思います。

絵については、4月に吉祥寺でやる予定の展覧会の時に
いくつか並べるとおもいますので
お近くの方は原画を見に来てくださるとうれしいです。

「閉會の辭です。」
(狐の紺三郎の声で)
2010年12月02日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典12

けんじおび

これは、帯ではなくケースの表紙に使われました。
(本の表紙ではない)

もう少し全体の一体感みたいなものを出した方が
よかったなぁと今は思っていますが。

たいして意味はないけれど、あまりない機会なので
絵の説明をしてみましょうか。

奥に見えますのは、〈山猫〉ではなく猫山です。
〈火山〉を爆発させたかったのですが、猫が爆発するのは
ちょっと怖いので、地面から直接吹き出してることにしました。
その地面、レモンのようなこれは、私のお気に入りの形のひとつで
どこかに置けば転がってしまう形なので
私の中では、浮いているというしるしです。
半分に切ってあるのは、上にいろいろ乗せるため。
〈かしは林〉をつくってみたのですが、かしわの葉っぱは
図鑑は見ないで、かしわもちを思いだしながら描きました。
空にむかって飛んでいる鳥は〈よだかの星〉をおもってのことですが
このフォルムはヨタカではないです。
ヨタカはたいへん不思議な鳥で、
この話の主人公に選ばれたのはなるほど当然かと思います。
(ヨタカは他の多くの鳥とは違い
 木の枝に垂直ではなく、枝に添うように平行にとまります。)
前にある石ころは〈火山弾〉かと思われますが
帯のような模様もないし、ただのつけもの石かもしれません。
どこかに人の気配をいれるため信号のようなものを描いてみました。
〈でんしんばしら〉はどうかしらとも思ったのですが、
電線がどうも邪魔でやめたのです。

これでお終いです。

賢治を嫌いな人もどっちでもない人もいたはずですが
私の話にながながとつきあわせてしまいました。
申し訳なかったです。

次回、あと一回だけ〈あとがき〉がありますので
気をつけてください。
2010年12月01日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典11

コラム11

これが、今回描いた32枚の最後のアップになります。
(描いた順番ではありませんが)
原画は私の趣味でちょっと色気が入っていますが、
印刷はもちろん一色なので、本の中では無彩色です。

32枚もあると、抽象の度合いや表現に多少のばらつきはできますが、
実は、自然界はもっと多様な形や色を
平気で飲み込んでいるのだから、そこにあまりこだわらないで
自由に描いていくほうがいいのかなと
途中からは、楽な気持ちで描きました。
私の考えた縛りなどはほんと、しゃらくさいもんですから。

さてカサイ氏より新たに帯用の絵の依頼がある。
曰く、
「鉱物であり植物であり、動物であり…
 空であり山であり、空気であり…というような絵…」

私はこれは(王様が王女様をお嫁に欲しいと言う若者に
申し付ける無理難題の仲間)ではないか!
と思ったのであるが、
ま、しょうがないから素直に考えてみたのである。

次回がたぶん宮澤賢治祭の最終回になります。

2010年11月30日 | Comments(6) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典10

コラム9

この10年ほどは、賢治のことはすっかり忘れてすごしました。
もちろんそれで、特に困ったことも起きませんでした。

そして、ついにこの事典の話にたどりつきましたよ。

コラムは事典の中にちらばり、はしやすめのような
役目をになっているのではないかと思います。
その数は41、様々な分野の人たちがそれぞれの賢治を
軽めの語り口で書いています。

私はコラムの数だけ絵を描くつもりでしたが、
32個描いたところで、もうこれだけでいいですと言われたので
そこでやめました。ちょっと残念だったけど。

これは何かと聞かれれば、特になんでもないのですと言うような絵
ですので、絵を渡す時は
「縦にしても横にしても、反転してもかまわないし
使いにくいものがあれば、はねてくれてもいいです。」
と、デザイナーにお任せしました。

こんちさんの塗装をしながら、平行してこれを
どんどん描いていたのでした。
なんかちょっとおかしいです。

2010年11月29日 | Comments(2) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典9

コラム5

私は柳田国男の大ファンというわけではありませんが
遠野では見るもの聞くものがおもしろかったです。
しかし、いずれもその奥に暗いものが透けていました。
度重なる飢饉などこの土地で生きて行くことには常に
困難がともない、それが重苦しい暗さになっているらしい。

賢治の初期の作品に「家長制度」という超短編があります。

  その息子らがさっき音なく外の闇から帰って来た。
 肩はばひろくけらを着て、汗ですっかり寒天みたいに黒びかりする
 四匹か五匹の巨きな馬を、がらんとくらい厩のなかへ引いていれ、
 なにかいろいろまじなひみたいなことをしたのち、
 土間でこっそり飯をたべ、そのままころころ、藁のなかだか
 草のなかだか、うまやのちかくに寝てしまったのだ。

私は遠野では南部曲り家をそのまま使った宿に泊まりました。
人も馬とさして変わらない生活をしていたということでしょう。

この文章の最後の部分です。

 いきなりガタリと音がする。重い陶器の皿などが、すべって床にあたったらしい。
 主人がだまって、立ってそっちへあるいて行った。
 三秒ばかりしんとする。
 主人はもとの席にどしりと座る。
 どうも女はぶたれたらしい。
 音もさせずに撲ったのだな。その証拠には土間がまるきり死人のように
 寂かだし、主人のめだまは古びた黄金の銭のやうだし、
 わたしはまったく身も世もない。

人の気配やもの音もするのに、全体を覆っているのは
沈みこむような暗い沈黙である。読んでいる私もまた
身も世もない。

賢治は多くの作品のなかに
空や雲、その色や変化、あらゆる木の、葉の揺らめきと幹、
さまざまの草と花、何種類もの鳥の姿と声などを
あふれるように、書きとめた。

それらを目撃していたものは賢治たった一人ではなかったはずで
この土地に住む他のひとたちも見ただろう。
ときには、その美しさに心なぐさめられたり
たいしたものだと感心したりもしたかもしれない。
そういうことが、困難な毎日をすこし明かるくする
支えになったということはなかっただろうか。
そうであればいいなぁと思う私である。
2010年11月27日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典8

コラム8

時は流れて、(いまから10年とちょっとくらい前になるか…)
私は単身、東北の旅に出る。
当時大きな犬2匹と小さな子ども2匹がいて
気楽に旅行のできる身分ではなかったはずで、
なぜこのタイミングだったのかは不明である。

各方面に無理を言って、岩手へと旅立ったのである。

賢治ゆかりの場所はだいたい行ったが、
最も印象にのこっているのは、花巻で泊まった鉛温泉である。
ここは温泉の雑誌か何かで見て決めた場所で
行くまでは知らなかったのだが、賢治もたびたび訪れた所で
「なめとこ山の熊」のなかに出てくる。

 腹の痛いのにもきけば傷もなおる。
 鉛の湯の入り口になめとこ山の熊の胆ありという
 昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で
 紅い舌をべろべろ吐いてたにをわたったり熊の子どもらが
 すもうをとっておしまひぽかぽか撲りあったりしていることはたしかだ。

東京は春だったが、鉛の湯の前でバスを降りると雪があった。
建物はばかに大きく、湯治客のための自炊棟があって
白菜からくつしたまで揃ったコンビニエンスな売店があった。
どこにも人影はなく、まさにつげ義春の世界だった。

お目当ての白猿の湯が混浴と知って、私はだいぶびびった。
まったく問題意識のない番頭さんを相手に根掘り葉掘り聞いて
他のお客が夕食をたべてる時間帯に突撃する事に決める。

三階ぶんが吹き抜けのだだっぴろいおふろの真ん中に
小判形の1メートルいじょうの深さがある湯船がある。
私など立ってちょうど頭だけ出るかっこうである。
そして足下からお湯がわき出しているのだ。

私は、みごとにだれにも会わずこのお湯を満喫したのであった。

このあと私は遠野へいくのである。
2010年11月26日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典7

こらむ10

私はお話を聞くのは好きでしたが
自分で語ろうとは思いませんでした。
自分に記憶力がないのはわかっていましたので
憶えられるとは思えませんでしたから。

ところがたった一度、あやまちを犯しました。

徳永さんが遠くへ引っ越されることになり
送別のお話会が開かれる事になりました。
私はどうしても、はなむけのお話がしたくなってしまったのです。
そして、それは、賢治だろうと。
わたしは自分が大好きでかつ最も短いものという観点から
「注文の多い料理店」の「序文」を選びました。

これはお話ではないのですが
賢治の創作の根っこのところがすっかり書かれたもので
その文章は詩のようにシンプルで緊張感があります。
たいへん短いので一部を引くのはむずかしいのですが
  
  これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
 虹や月あかりからもらってきたのです。
  ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
 十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
 もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。

私は台所に立ちながら、もにょもにょと練習しました。
私にとっては、やはりむずかしいことだというのが解りました。
当日は、文庫活動や、小学校などでの出張お話会に
長く関わってこられた徳永さんを送るため
たくさんの語り手のかたたちがみえました。

あーあ、恥ずかしかった!です。

おしまいに、この文章の有名な最後のところを。

  けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、
 おしまひ、あなたのすきとほったほんたうの
 たべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
   
  大正十二年十二月二十日        宮澤賢治
2010年11月25日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典6

こらむ6

その年の暮れに私たちは引っ越しをします。
(隣町へちょっとというくらいの近さ)
なにより驚いたのは、私が、お話おばさん生息地のどまんなかに
着地したことでした。
市川さんの家は自転車で5分、徳永さんの家にいたっては
隣の隣の隣のとなり!でした。

お二人はそれぞれ「文庫ピッピ」「きりん文庫」という
家庭文庫をやっていて、私と子どもたちはその素晴らしい本棚を
我が物顔にあさったのでした。

そんな頃徳永さんから「賢治を今度やろうと思うのだけど
ちょっと聞いて欲しい」という電話があります。
我が家の居間で、差し向かいで「虔十公園林」を聞くことになります。
「虔十公園林」の書き出しはこうです。
 
 虔十はいつも縄の帯をしめてわらって
 杜の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。

徳永さんの最初の語り出しを聞いたとたんに
目の前にどんっと虔十が立ったのでした。
私は本当にびっくりしてしまいました。

それからあとは、涙はでてくるは、はなみずはたれてくるは、
目の前に徳永さんがいるのに私はばかみたいな様子で
聞き惚れていたのでした…

徳永さんは年季の入った賢治好きでありました。

2010年11月24日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典5

こらむ4

絵本は好きだったしいつも身近にありましたが、
子どもたちが幼稚園の頃は、これに追いまくられていました。

杉並教会幼稚園は近所の小さい幼稚園でしたが
質の高い絵本のコレクションを持っていました。
子どもたちは週末ごとに3冊ずつ借りてかえってきました。

ある日、友達に誘われて子どもを連れてお話会に行きました。
近くのお宅に語り手のかたが出張して来て
読み聞かせやお話をしてくれました。
これが、その後お友達になる市川さんとの最初の出会いで
私は語りというものに強い印象をうけます。

お話は目で活字を追って読むのと、耳から聞くのとでは
ずいぶん違ったものになるように思います。
聞くほうがずっと集中できますし、話に入り込み
リアルに見る事ができます。

この年、母の会(幼稚園の父兄の会)はバザーの収益金の
一部を使って、親子で楽しむ「お話会」を開くことになります。

先の市川さんが、徳永さん、藤本さんというお仲間といっしょに
語り手として幼稚園にきてくれたのです。
三人はそれぞれに個性的で、選ぶ本のセンスもその語りも
ほんとに上等でした!

会のあと残った数人の母親たちを前に藤本さんが
マーガレット・マーヒーの「葉っぱの魔法」を語ってくれました。
こんな長いお話も語るのかと、感動しながらも
びっくりしてしまいました。

賢治のけの字もでてきませんでしたねぇ。すいません。
続きます。

弘文堂のホームページにこの本の特設サイトがオープンしました。
ご興味がありましたらどうぞ。
立ち読みができます。ぜひ座ってごゆっくりご覧ください。


2010年11月22日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典4

けんじ4

つぎにたっぷりと賢治のものを読んだのは
全集(筑摩書房)を手に入れた時です。
奥付を見ると、私が21歳前後の頃のようですが、
入手のいきさつも、お金は私が払ったのかどうかも
すっかり忘れております。

大学時代にこれを少しずつ読んだであろうと思います。
全集には、薄い月報という印刷物がおまけのように
はさまれていて、これが案外おもしろく
楽しみに読んだ記憶があります。

先日ちょっとこの〈やま〉に書いたように
私は大学在学中から社会人になって3、4年くらいまで
子どもの遊び場にかかわっていました。
その関係で、紙芝居を作って
子どもたちの前で披露したことがあります。
どこでだったかもさっぱり覚えていないのですが
紙芝居のタイトルだけは覚えています。
「雪渡り」です。

四郎とかん子という兄弟が狐の幻灯会に招待されるお話です。
映画の後で黍団子が出された場面。
 
 それに狐の学校生徒がみんなこっちを向いて、
 「食うだろうか。ね、食うだろうか。」なんて
 ひそひそ話し合っているのです。かん子ははづかしくて
 お皿を手に持ったまま、まっ赤になってしまいました。
 すると四郎は決心して言いました。
 「ね。食べよう。お食べよ。僕は紺三郎さんが僕らをだますなんて
 思はないよ。」

というわけで、固唾をのんでみていた私たちもほっと一安心。
お団子はたいへんおいしくて、狐の生徒たちはもうあんまり悦んで
おどりあがってしまいます。
 
 キックキックトントン、キックキックトントン。
2010年11月19日 | Comments(2) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典3

けんじ3

子どもの私に最も人気がなかったのは、
「土神ときつね」でした。

きれいなかばの木と、彼女に想いを寄せる土神ときつねの
言ってみれば、三角関係のもつれの話です。
物語のおわりには、嫉妬に駆られた土神が発作的に
きつねを殺してしまうのです。

土神もきつねもねっから悪いやつではないのに
どうしてこんな悲惨なことになってしまうのか。
私の中ではずっと怖くて暗いお話でした。

今回はじめて、いいなぁと思いました。
少し引用します。

 土神は大声にわらいました。
 その声はあやしい波になって空のほうへ行きました。
 空へ行った声はまもなくそっちからはねかえって、
 ガサリとかばの木のところにも落ちて行きました。
 かばの木ははっと顔いろをかえて日光に青くすきとおり、
 せわしくせわしくふるえました。

少し表現を変えて、同じ場面がもう一度あります。

ここを読むと、物語の世界が空の方向に向かって
さーっと広がるような気がします。たいへん気持ちがいいです。
美しく透明な物語の舞台の真ん中に
きれいなかばの木がほっそりと立っているのが見えます。
2010年11月18日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典2

k2

小学生の時に買ってもらった「銀河鉄道の夜」(岩波書店)は
今も手元にある。「風の又三郎」のほうは行方不明…

子どもの私が一番きにいってたのはどの話だったか。
いろいろ思い起こしてみる。

気に入ってたというのとはちがうけど
最も印象に残ったのは「ツェねずみ」だと思う。

たいへんいやな性格のねずみの話である。
その性格のため、つぎつぎと友を失ったツェねずみは
ねずみとりとつきあうことになる。
親切なねずみとりは扉を開けたままにして
しかけられたえさを食べさせてくれる。
ある日、ツェねずみがそれを食べようとすると腐っている事に気がつく。

「ねずみとりさん。あんまりひどいや。このはんぺんはくさっています。
ぼくのような弱いものをだますなんて、あんまりだ。
まどってください。まどってください。」

と言いつのるのである。
これはツェねずみの〈いやなきめぜりふ〉で先の
友を失う場面でもたびたび繰り返されたものである。

私はこれが頭にはりついてしまい、長い間忘れる事ができなかった。

さて、今回の仕事が終わった後、読み返して発見したことがある。
私はこの〈はんぺん〉をはっきりと、自信たっぷりに
〈ちくわ〉だとおもっていたのである!
ちくわのほうが身もしっかりしていて、穴もあるし
ひっかけやすいんじゃないかと10歳の私が考えて
それが記憶のさしかえに繋がったのではないかと想像して
ちょっとおかしかった。
2010年11月17日 | Comments(0) | 宮澤賢治

宮澤賢治イーハトヴ学事典1

けんじ12

久しぶりに仕事の絵の紹介です。

カサイ氏よりコラムのイラストをという
お話があった時
賢治の本に描けるのはうれしいけどむずかしいなと思いました。

賢治はたいへんファンの多い作家です。
しかもその愛が深い!
私などファンの末席を汚すところまでもいきません。
また、賢治の書くものはイメージ喚起力が強いというか
はっきりと見えるところがあります。
ひとりひとりのイメージは違っているでしょうから
私の描いたものに違和感をもつ場合もあるでしょう。

今回はなるべく抽象的な断片を描こうと思いました。
特定の物語の挿絵にならないようにしようと考えました。
事前にテキストを読み返すことはあえて、しませんでした。

気に入らないところもありましょうが、
勘弁してくださいと言うよりしかたありません。

十歳の時から今まで、私は私なりにふしめふしめで
読み返しよい付き合いをしてきたとおもっています。
そんなことも少し書いてみたいと思います。

絵は一つずつ描いていますが、三つ組でアップします。
絵の数が多いので、新しくカテゴリをつくりました。
しばらく〈松井なつ代のやま〉は宮澤賢治祭です。

本は弘文堂より12月2日発売。
ホームページでは近刊のところに紹介があります。
2010年11月16日 | Comments(2) | 宮澤賢治
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