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中大兄皇子

タイマノケハヤについて調べていて、
偶然面白いブログをみつけました。
2006年にちょっとの間だけ更新されていて、
その後は動いてないブログです。

「中大兄皇子の謎」という話がすごくおもしろい。
このブログの中身をわたしの解釈もいれて説明するとこうなります。

663年、朝鮮半島の白村江で、一大決戦が行われました。
「唐・新羅」軍と「百済・倭(日本)」軍のそれぞれの連合軍の戦いでしたが、「唐・新羅」の圧倒的な勝利のもとに幕を閉じました。
この敗戦によって百済は完全に滅亡し、朝鮮半島は新羅による統一へと向かうということになっているのですが、
この戦いに倭は参加していないんじゃないかというのです。

大和朝廷はじつはまだ九州を支配していなかった。
九州の国、仮にナカ国となづけてみます。
大和朝廷とは別に王様がいて、それが中大兄皇子ではなかったかと。

そして白村江は、このナカ国の戦いではなかったか。

その後逃げ帰ったかれは大和朝廷で天智天皇になるわけですが、
皇太子身分で摂政となる時期が7年もあります。
弟と言われている大海人皇子に、
なんと娘を4人もとつがせているらしいけど、
当時の結婚は関係を強化するためのものですから、
弟ほど近い関係をより強化する必要があるのかも疑問です。
それに血が濃くなりすぎるだろう。
天智天皇が百済人を重用したことも腑に落ちる。

ま、そんなこんなで、私としては完全にこの説に賛成です。
なんとなく九州の独自性も合点がいく。

地図をみれば九州は、朝鮮半島にすごく近い。
朝鮮半島南部と多島海の島々を含む伽耶連合の方に
より近い関係であったのではないでしょうか。

中大兄皇子の中は、那珂川の那珂ではないかともありました。
中天皇(なかつすめらみこと)という中継ぎの天皇という言葉もあるように、
中は正式名称としてはちょっとおかしいもんね。

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2013年02月23日 | Comments(0) | 未分類
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