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浦上四番崩れ

四番崩れについて補足。
シドッチのようにダメとわかりつつ潜入し、
結局幽閉されたまましんでしまった人がいたほどで、
日本に布教したくてウズウズしていた人たちが、
すたんばっていたので、開国と同時に、
宣教師たちが入って来た。
そして1862年横浜に、1865年に長崎の大浦に、
天主堂ができる。
この時はまだ禁令下であって、
在留外国人を対象としたものであったが、
もちろん心は日本人への布教を、
目的としたものである。

この時、驚くべきことがおこる。
大浦天主堂を訪れた一群が当時の司祭プチジャンに、
自分たちの信仰を告白したのである。
200年以上も厳しい禁令のもと、
密かに信仰を持ち続けた人の出現は、
キリスト教界でも前代未聞のことであり、
びっくり仰天、大感激であったのである。
そしてその後堰を切ったように、
ぞろぞろと隠れキリシタンが現れた。
彼らもまた、七代あとに宣教師がやってくるという、
言い伝えを信じ、
沖に見えるはパーパの船よ
丸にヤの字が書いてある(マリヤ)と歌って、
この日を待ち続けていたのである。
(230年も!)

長崎奉行所並びに新政府のみなさんはこれには、
完全にムカついただろう。
キリシタンたちは寺受け制度という、
全員お寺に所属しなきゃならないという規則に、
従っていたが、ここに来て大胆にも、
もうお寺とは縁を切りたいというものが現れた。
(もう一つの本「カクレキリシタン」によると、
彼らは定期的に踏み絵をさせられていたが、
当日は新しいわらじを履いて行き、
帰ってからわらじを煮てその汁を飲んでいたという!)

こうまで言われてキレた明治新政府の最後の爆発が、
「浦上四番崩れ」である。
2016年05月26日 | Comments(0) |
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