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総合的にげっそり

世の中の人がどんなにオリジナリティーや個性を、
有難がっても、それはその時代の社会の常識の、
許容範囲の中に収まると言うのが前提である。
クジャクだって羽根の目玉の大きいオスが、
人気だと言っても、
特大目玉模様が一個では、
メスは同族のオスと認識しない可能性がある。
実際許容範囲と言うのがある。

私も世間の常識におおいに影響を受けている。
完全に社会で浮いた存在で生きるのはしんどいからである。
個人が寛容さを身につけるのも大事だが、
社会全体が寛容であることは、より重要だと思う。
社会が多様性を許容するものなら、
個人はみんなうんと楽になるはず。
どんな人もみんな。
社会が寛容になるためには、
やはりまず個人が寛容にならねばならないか。

結局、幸せも不幸も社会の常識との、
相対的な問題なのだろう。
幸せの幅が狭い社会なら、不幸な人が増えるということ。
今の日本は実際幸せになるのは大変に難しい。
幸せの幅がとても狭いように思う。
その上、僭越にもああいう人は不幸に違いないと、
他人が判断したりする。
してもいいと思っている。
それが合理性であると。

いろんな事が積もり積もっていて、
簡単に修復、方向転換は難しいが、
とりあえず、差別的な発言には文句をいうべきだし、
やはり最低賃金をあげることも必要。
それぞれの立場で人が堂々と生きていけることが理想だが、
あまりにもそうなっていない。
なんか本当に総合的にげっそりしている。

アジアの僻地の話を読むと、
それが納豆の話であっても、
人々がのんびりして暖かいのを感じる。
日本はちょっと特殊と言えるほど、
余裕がなくギスギスしているなぁ。
日本の納豆がかなり特殊な存在であるのも、
ま、頷ける。
2016年07月29日 | Comments(0) | 未分類
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